1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/10/20(火) 13:29:27.37 ID:???*.net
no title 長髪をなびかせ、無尽蔵のスタミナでピッチを駆け回る。サッカー元日本代表の北沢豪氏(47)は「日本のダイナモ」と呼ばれ一時代を築いた。その一方で日本が初出場を決めた1998年フランスW杯直前にカズこと三浦知良(48)=現J2横浜FC=らと代表メンバーから外されたことで世間を驚かせた。衝撃の落選後にはカズと“逃亡”。栄光の裏に隠された波乱のサッカー人生に迫る。

 「これからのW杯を戦っていく上で、いろいろと(戦術を)変更しないといけない。そうなると北沢のポジションはなくなる…」

 これだけでしたよ。岡田(武史監督)さんから言われた言葉はね。伝えるだけで精いっぱいの感じがしたし、それ以上、言い訳(説明)を聞いても仕方ないので「分かりました」と途中で話を切った。岡田さんは僕と目を合わせることもなかった。

 〈1998年6月2日、フランスW杯直前のスイス・ニヨン合宿。岡田監督は北沢、三浦知良、市川大祐の最終メンバー落選を発表した〉

 話は宿舎の岡田さんの部屋で聞いた。正午頃に僕の部屋に電話があって「こちらに来てくれ」と。昼食の直前だったし、もう、自分(の落選)はないと思っていた。外れる選手を伝えられるものだと考えていた。だから通達されたときは正直、監督に対し「何だ、お前!?」という感じ。自分はW杯アジア予選の途中に招集され、外される雰囲気もなかった。選手選考はスポーツに付きものだけど、やっぱり頭にきた。

 〈日本が最終予選5試合を終えて1勝3分け1敗と苦戦するなか、北沢は6戦目のUAE戦から招集。W杯出場を決めたイラン戦までの全4試合で先発起用されていた〉

 「今後どうするかは任せる」といわれたから「たぶん(日本に)帰ると思います」と話して自室に戻った。すぐに嫁(恵理さん、45)と両親に電話をして「外れたから」と伝えた。両親は初めてのフランス旅行で、僕にしてみればW杯に連れて行くのが何よりの親孝行。それができなくなったのが一番つらかった。

 (渡仏の)準備も完璧に済ませていたけれど、キャンセルの手続きは僕がやった。親父(弘仁さん、76)は「それでも頑張ってきたんだからいいんじゃないか」と励ましてくれた。

 家族への報告を済ませてからカズさんの部屋に行ったら、すでに荷造りを始めていた。一刻も早くこの場を離れたい、という考えは同じ。「一緒に帰りましょう」とすぐにチーム(代表)を去る用意をした。

 まずは報道陣が来る前にホテルを出たかった。行き先も決めず、日本協会関係者に用意してもらったレンタカーにカズさんと乗り込んだ。結果的にそれは文字通りの“逃亡劇”に。6月5日の帰国まで「空白の3日間」の始まりだった。

⇒北沢豪、岡田監督に対し「何だお前!?」という感じ(サンスポ)

https://www.youtube.com/watch?v=_7-bDCCbQ2E


伝説!外れるのはカズ

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