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1:YG防衛軍 ★@\(^o^)/:2016/05/13(金) 19:49:41.17 ID:CAP_USER9.net
18歳でのサッカー・ワールドカップ出場は、いまだに日本人最年少記録である。

小野伸二のサッカー人生は、日本サッカーの発展と軌道をほぼ同一にして、上昇曲線を描いていた時期がある。けがのために表舞台から一時、退くことはあったが、長らく日本サッカーの大黒柱の一人であり続けてきた。

『NumberPLUS(「スポーツノンフィクション2016 運命を変えた一戦。」5月12日発売)』の取材で、久しぶりに小野伸二に会った。

天才フットボーラーの20年にわたるサッカー人生を振り返るとともに、小野伸二というアスリートの「運命を変えた一戦」を描き出す取材だ。

キャンプ地・沖縄と本拠地・北海道での二度にわたるロングインタビューで、小野伸二は自身のサッカー人生を振り返ってくれた。

そして小野伸二と深いかかわりのある5人の関係者を取材してまわった。それは同時代に、サッカーを主な担当として雑誌『Number』を作っていた筆者にとっても、過去をさかのぼる旅になった。

18歳、レッズ加入間もない頃の天才少年。

小野伸二を初めて取材したのは、1998年2月下旬。浦和市(当時)の大原サッカー場に、浦和レッズ加入まもない天才少年を訪ねた。

とにかく明るい、が第一印象だった。20歳代半ばだった私も含めて取材スタッフが若かったせいか、小野はリラックスした雰囲気で、「フランス・ワールドカップ、出たいですよね」というようなコメントを発していた。  

インタビュー後の撮影でも、芝生に寝転んだカメラマンを飛び越えるというリクエストに笑顔で応じてくれた。

その後、Jリーグ開幕戦での先発デビュー&フル出場、日本代表デビュー、フランスW杯出場、と小野伸二は急カーブを描くように世界レベルの選手へと成長していった。翌1999年春、ナイジェリアでのワールドユース準優勝は、ひとつのピークだろう。

小野のサッカーを一番変えた一瞬。

「やっぱり'99年のフィリピン戦のときのけがというのが、僕の中では、僕のサッカーを一番変えた一瞬だったんですね」

今回の『NumberPLUS』の取材を開始したとき、キャンプ地の沖縄で小野が最初に口にしたのが、シドニーオリンピック・アジア地区1次予選でのフィリピン戦だった。これまで幾度も触れられてきた、フィリピン戦の「前と後」が、やはり小野の口を突いて出る。

「今でも、『あれがなかったらなあ、どうだったんだろうなあ』と思うことは思います。でも、そんなこと言っても……。今でも、そうですね。自分にとってプロサッカー人生でピークはどこといったら、やっぱりあのころですね。

僕が一番よかったなと思う時期は。現在は周りに言われてるほどではないと思うし、『自分が納得してサッカーやってたな』と思うのが、やっぱりあのときぐらいだったんで、全然違いますね」

淡々と、静かな口調で話されると、なおさら本人にとっての重さを感じてしまう。「でもね」と小野は明るく言う。

「早すぎるじゃないですか、プロに入ってまだ2年目なんです(笑)。そこを中心に考えると、今度は先が長すぎるでしょ(笑)」

結局、『NumberPLUS』で語ってもらった「運命を変えた一戦」は別の大会の別のゲームになった。
 
そのゲームについては、関係者たちの証言が重ねられて、ノンフィクション作家・平山譲氏によって重層的に描かれているので誌面をお読みいただきたい。
 
また今回の取材で、小野伸二が「ある衝撃的な告白」をしている。天才小野がそこまで追い詰められていようとは、明るい笑顔から窺い知れなかった。これも記事内にすべてが書かれている。
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