1: U-名無しさん@実況・\(^o^)/です 2016/02/12(金) 03:01:32.286188 ID:CAP_USER*.net
松木安太郎の奇声解説をリオ五輪で求める理由【小田嶋隆の「日本サッカー」を、取り戻す】第2の矢

◆一人でテレビ観戦する際に感じるさびしさ

 退院して、久々に自宅のデカい画面のテレビでJリーグの中継にチャンネルをあわせたり、代表戦や五輪予選の試合を見たりすると、自分のサッカー中継の見方が入院前とはずいぶん違ってしまっていることに気づく。おそらく、入院中に、たった一人で、タブレット&イヤホン視聴環境での試合中継視聴を重ねたせいだと思うのだが、私は、どうやら明らかにさびしがりやになっているのだ。
つまり、視聴者としてのオダジマが中継スタッフに求めるものが、「情報」よりも「情緒」に偏ってきているということだ。

 具体的に言うと、入院前の半可サッカーマニアであった当時の私は、実況アナに、余計な感想を述べないストイックで正確な状況報告を求めていた。ボールホルダーの名前をきちんと伝え、できれば、パスの送り手と受け手の間に入ろうとして惜しいところでパスカットに失敗した敵方ディフェンダーの選手の名前とプロフィールも伝えてほしいといったような要求だ。解説者にも、その日のピッチ状態や、直前のゲームでのキープレイヤーのコンディションや、リーグの中のライバルの動向など、とにかく正確で詳細な情報を適切なタイミングで伝える仕事をこなしてほしいと考えていた。であるから、たとえば、宮本恒靖氏の冷静かつ的確なコメントや、NHKの野地アナウンサーの感情に流されない端正な実況ぶりを高く評価していた。

 ところが、入院中に孤独な観戦経験を重ねた私は、いつしか、その種の情報提供型のマニア向けの中継に疲労を覚えるようになっていた。あの種のスカパー型のきちんとした中継は、たとえば、かたわらに友人やら息子やらがいて、「おいおい、そこはシュートだろ」「やべえ」などと言いながら見るのには良い。ピタリとハマっている。

 でも、たった一人で見ているオレに、ただただ技術的だったり戦術的だったりする情報をささやかれ続けても、それはちょっと困るわけだ。 具体的に言えば、さびしいのだよ。で、心に沁みるのが、松木解説だ。

◆「心の叫び」を提供する松木解説のありがたみ

 家族の者は、それぞれに忙しい。気がついてみれば、子供たちが学校に通っていた頃みたいに、大勢でサッカーを見ることもなくなっている。 とすれば、「おいおいおい」「PKじゃないかぁ」「よしよしよし。ははははははは」 「あぶないあぶない」 という、まるで解説になっていない松木さんの叫びが、一番ありがたい。

 なんとなれば、松木安太郎のコメントの半分ぐらいは、解説というよりは、並んで観戦しているオヤジの奇声であり、歓声であり、怒声であるからで、本来のサッカー観戦というのは、実はリテラルな(文字化された)「情報」を収集する中で進行するものではなくて、叫びや、怒りや、歓喜の声が渦巻く感情の沼に首までどっぷり浸かる中で為される、著しく感情的な行為であるはずのものだからだ。

 仲間とスタジアムに行った時、私は、批評的な観戦者ではない。戦術的なチェックをしているわけでもないし、個々の選手の技術的な問題点について考察を深めるために座席に座っているのでもない。私たちは、デカい声を出し、立ち上がった拳を振り上げるみたいな、大人げのないオヤジに変身するためにチケットを買っている。本当は、テレビの前でもそうでありたい。ただ、一人でサッカーを見ていると、どうしても批評的になってしまう。それはそれで楽しくないわけでもないのだが、こっちがおとなしい分、せめて隣で喚いてくれるオヤジを配置してほしいわけだ。

 結論を述べる。 「ウィー・ウォント・マツキ」

 これが、今年のテーマだ。

 リオ五輪の中継は、ぜひ、テレ朝のチームでやってほしい。松木&ゴンの黄金解説。

 人間力の先生は、時々チャンネルを切り換えて確認してみたが、親戚の娘の結婚式でスピーチをしてる課長のスピーチみたいで、私はダメだった。
 スタジアムは結婚式場じゃない。

 むしろ、居酒屋だ。

 We want Matsuki !
 We want Gon !

 君たちの力で、マラカナンをまるごと居酒屋に変えてくれ。 期待している。

フットボールチャンネル 2016年02月08日(小田嶋隆)
http://www.footballchannel.jp/2016/02/08/post136583/
画像:実況・解説陣の語りはテレビ中継の重要な構成要素となっている
no title

画像: テレ朝の日本代表中継解説でおなじみの松木安太郎氏
no title

続きを読む