1: U-名無しさん@実況・\(^o^)/です 2016/01/28(木) 17:15:59.50 ID:CAP_USER*.net
no title  2009年から13年まで本誌で連載され、その後も続けられていた、元サッカー日本代表・中田英寿の日本を巡る旅。日本の最南端から最北端まで6年半をかけて旅した男の次なる“目的地”は……。

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 視界5メートルもないような猛吹雪。6年半におよぶ旅のエンディングでも、その土地“らしさ”に遭遇するあたりは、さすがというべきだろう。

「もう無理! 早く写真撮ろう」

 2015年12月1日。「日本最北端の地」宗谷岬の碑の前に立った中田英寿の叫びも吹雪が消し飛ばす。

●旅はサッカーと同じ

 09年の春に「日本最南端の碑」からスタートした旅の最終目的地がここだ。寒さもあって、訪問は意外とあっさり終了した。

「達成感はそれほどないですね。2年くらい前までは宗谷岬に立つことが目的でしたが、今となってはここも通過点のように思えます。スタートしたときは、とにかく日本全国を巡ることが目標でした。自分が知らない日本という国をもっと勉強したいと思っていました。でも今の僕の目標は、もう未来にある。この旅で出会った素晴らしい人、物、文化を世界に広めていくことを考えています。だからこの旅が終わることも通過点にすぎない。これからも出会いを求めて全国を巡るのは間違いありません。自分がこんなふうになるとは、思ってもいませんでした。8歳でサッカーを始めたとき、プロになるなんて想像していなかったのと同じですね」

 当初は、「ひとつの県で3日もいれば十分」と考え、半年もあれば日本全国を回れると思っていたという。しかし旅先でさまざまな出会いが生まれ、日程は延びていった。彼がこの旅のために費やした日数は、6年半でのべ500日以上。旅で使用した車の総走行距離は、約10万キロ。訪問先は約2千軒、出会った人の数は1万人を軽く超える。

「たくさんの人と会って話していくうちに、物事を見る角度や深さが違ってきました。知識が増えると面白くなるから、自分でも勉強する。勉強すると、人の話がますます面白くなって、どんどんのめり込む。日本酒のことも最初はぜんぜん知りませんでしたからね」

 中田にとって、この旅のいちばん大きな“収穫”は、日本酒との出合いではないだろうか。全国約250の蔵を巡り、酒造りも体験。ついには酒ソムリエの資格を取り、ロンドン五輪やブラジルW杯のときには、海外の人が日本酒を楽しめるバーをオープンしたりした。もはや彼のライフワークのひとつと言っていいだろう。

「日本酒や工芸は、その土地だからこそ楽しめるものもたくさんあります。ネットや本の情報だけならここまで興味を持てなかったでしょうね。自分の足で訪ね、目で見て、舌で味わい、香りを知る。そうやって体験に落とし込むから、本物の知識になるんだと思います」

●第二の人生のスタート

 ちなみに全行程でいちばん印象に残っているのは……。

「奈良の大峰山の西の覗もすごかったし、24時間以上かけて船で行った小笠原諸島も印象深いですね。多くの人間国宝の方々にお会いできたのも忘れられない思い出。美味しいもの、素敵な宿もたくさんありました。どれか一つというのは難しいなあ」

 日本一周の旅は終わった。だが中田英寿の旅は、続く。

「ゴールはないですね。旅が続くというより、さらに先に延びたという感じ。この旅をしたことで、よりたくさんの次の旅先が見つかりました。日本文化を世界に広めるプロジェクトをもっと力を入れてやっていきたいし、それとは別に目的のない旅も続けて、また新たな発見をしたいと思っています。この旅でのすべての経験、出会いが自分の財産ですし、ここから第二の人生が始まった。サッカーをやめてからずっと探していた、サッカーよりものめり込めるものを見つけられた気がします」

 サッカーの次は、文化の“日本代表”として。中田英寿が再び世界を目指す。

⇒中田英寿 6年半の旅が完結「ここも通過点、目標は未来にある」(AERA)

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