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1: 2018/04/21(土) 13:29:33.45 ID:CAP_USER9
【元日本代表主将のホンネ炸裂トーク】
勝負勘は大丈夫なのか “貴公子”西野朗監督への期待と不安

 まさか西野朗氏(63)が日本代表を率い、W杯の桧舞台で采配を振る日が来るとは、夢想だにしなかった。
もちろん指導者としてJリーグの通算勝利数記録を持ち、アトランタ五輪代表監督として中田英寿ら個性派をまとめ、ブラジルを破る「マイアミの奇跡」を演じたことも知っている。
しかし――。2015年の名古屋を最後に3年、ピッチから遠ざかっている西野氏の「勝負勘」は大丈夫なのか? 日本代表を率いたことのない西野氏が果たして、W杯本大会で好采配を振れるのか?

 ハリルホジッチ前監督は、14年ブラジルW杯で結果を残して「勝てる監督」という触れ込みだった。その結果を見る前に更迭した問題点が、選手の奮闘で勝ち点を獲得“してしまう”ことで、ないがしろにされることを懸念している。

 初めて「貴公子」を見たのは、私が高校3年のときだった。母校・秋田商は毎年ゴールデンウイークになると埼玉・浦和に赴き、地元の強豪校と手合わせするのが恒例だった。
その中の浦和西にひときわ端正なマスクの選手が、サラサラヘアをなびかせながら走っていた。秋田商サッカー部員は今も昔も、甲子園球児のような丸坊主姿。
「浦和西2年生のMF西野はテクニシャンで鳴らし、貴公子と呼ばれている」。東北地方にも、その名がとどろいていた。

 浦和西―早大―日立と進んだ西野氏は、日本代表では目立った活躍を見せることはなかった。早大4年、日立1年目に招集されたのみ。
国際Aマッチは12試合・1得点という数字に終わった。華麗なテクニックを誇りつつ、DFの当たりに弱いところがあった。故障も多く、貴公子の前に「ガラスの」という形容詞が付いていたと記憶する。

 西野氏の「喜怒哀楽を表に出さず、常に飄々としている」キャラクターは、世界注視の桧舞台でプラスに作用するかもしれない。日本サッカー全体でもり立てたい。

■田口光久サッカー解説者
1955年2月14日生まれ。秋田県出身。秋田商高から三菱(現浦和)入り。76年に日本代表入りを果たし、日本代表Aマッチ59試合に出場。
B、Cマッチを含めると161試合で代表守護神として活躍した。現役を引退する84年まで代表主将を務め、引退後は秋田経法大付属高、青森山田高、遊学館高、国際学院高サッカー部監督を歴任した。

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日刊ゲンダイDIGITAL 2018年4月20日 田口光久
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/227476
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/227476/2

※参考までに、過去のW杯で日本が決勝Tに進出したケースは2度あるが、いずれもW杯での采配経験のある監督がチームを指揮(トルシエ氏、岡田武史氏(第2次))。
また、日本がGLで敗退したケースは3度あるが、いずれもW杯での采配経験のない監督がチームを指揮(岡田武史氏(第1次)、ジーコ氏、ザッケローニ氏)

4: 2018/04/21(土) 13:30:39.89 ID:mS6zfEYg0
大丈夫、誰も勝負を期待はしてないから

引用元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1524284973

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