1: 2018/01/20(土) 19:56:36.47 ID:CAP_USER9
1993年5月のJリーグ開幕から、今年で25年が経ちます。百年構想で始まりましたが、今年の5月でちょうどその4分の1が過ぎることになります。10チームで始まり、今はJ3まで54クラブ。チーム数が増えたから成功というわけではありませんが、Jリーグとして着実に歩みを進めてきた25年でした。

 この間、W杯は98年フランス大会を皮切りに、6大会連続の出場。Jリーグを経て海外クラブでプレーする選手が増えました。そして、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)は3度の優勝。

クラブW杯でも、開催国枠の出場でしたが、2016年に鹿島が決勝に進出し、レアル・マドリードを相手に善戦しました。クラブレベルの観点からみれば、Jリーグが始まる以前の日本リーグ時代と比べ、世界との差は縮まり、一定の成果をあげたことはまぎれもない事実です。

 ただ、代表チームに関しては14年のW杯ブラジル大会以降の3年半で、世界との差が大幅に広がった感は否めません。アギーレ監督が6カ月で退任。ハリルホジッチ監督に交代という事情を差し引いても、明らかに代表レベルでは世界のサッカーの進化についていけていない状況です。

■世界に追いつけない理由

 その大きな理由の一つは、かつてはバルセロナやバイエルン・ミュンヘン、今はマンチェスター・シティーを率いるグアルディオラ監督の存在です。

彼によって選手個々の役割がより「言語化」され、そのポジションにおいて何をすべきかというポジショナルプレーの概念が高まり、世界トップの選手たちの役割がより整理されたのです。

 「言語化」というのは、監督が自分のやりたいサッカーを具現化すべく、ピッチを分割し、このゾーンでは各選手が何をすべきか、そのゾーンにいつ入るのか、ということを具体的に提示することがその一例です。

そして、この選手がここに動いたら、別の選手はここに動く、といったチームとしての連動性をつくりあげることで、攻撃においての崩しの方程式が、よりオートマチックになります。

 この概念は、個々のクリエーティビティー(創造力)を奪うものではなく、むしろ生かすものでもあります。

その選手のクリエーティビティーを、より効果的に発揮させるための配置、タイミングの徹底ともいえるのです。また、それはボールを奪われた瞬間に守備に行くための、最適な配置にもなっています。そして、それを試合で実現させるためには、そのための特殊なトレーニングが必要です。あうんの呼吸を試合の中で何度も再現させるための練習体系、さらに言葉を持つことが必要となります。

 ただ今の日本代表で、それを求めるのは非常に難しいことです。なぜなら、そうした高度なレベルで言語化できる監督が、そもそも世界にそんなに多くは存在していないからです。それぐらいの能力を持っている監督を招こうとすれば、莫大(ばくだい)な資金がかかりますし、そういった監督が代表チームを率いることも、まれだからです。

朝日新聞1/19(金) 16:52配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180119-00000057-asahi-spo
進化に疑いの余地はないが…

 25年間でJリーグが進化してきたことには疑いの余地はありません。しかし、代表チームのレベルアップにつなげる観点からいうと、ただでさえ、W杯が26年大会から48チーム出場に増える中、「ただ出場するだけのもの」になるのか、「優勝を目指せるもの」になるのかという、大きな分岐点に今、立たされているのです。Jリーグの各クラブが革新的な若い指導者を生み出せる力を持ち、そういう指導者を登用できなければ、25年間で積み上げてきたものを瓦解(がかい)させてしまう可能性すらある状況です。逆に言えば、それぐらいのスピードで世界のサッカーは進化しているのです。

■日本代表の進化のために必要なこと

 今までは選手個人が海外で、世界トップクラスの選手たちと渡り合いながら、日本代表の進化を加速させてきました。もちろん今後もそれは必要ですし、日本代表のほとんどの選手がブラジル代表のように、ポジショナルプレーの概念を持ち、その質を所属しているチームで上げられることが理想です。しかし、世界トップクラスのチームに日本人選手が所属することが非常に難しいだけに、日本代表の進化のカギは、Jリーグにあるのです。

 これからの25年間は、新しいタイプの指導者を生み出す新しい思考と勇気を、Jリーグ各クラブに期待したいところです。

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サッカー_02

 なかにし・てつお 1969年生まれ、名古屋市出身。同志社大から92年、Jリーグ名古屋に入団。97年に当時JFLの川崎へ移籍、主将として99年のJ1昇格の原動力に。2000年に引退後、スポーツジャーナリストとして活躍。07年から15年まで日本サッカー協会特任理事を務め、現在は日本サッカー協会参与。このコラムでは、サッカーを中心とする様々なスポーツを取り上げ、「日本の力」を探っていきます。

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