17
南米コロンビア北部メデジンの近くで28日夜、ブラジル1部リーグのプロサッカーチーム「シャペコエンセ」の選手らを含む77人を乗せた旅客機が墜落した事故を受けて、選手の大半を失った「シャペコエンセ」を応援する声がサッカー界から次々に上がっている。 

ラミア・ボリビア航空のチャーター機に乗っていた77人のうち、6人のみが救助された。コロンビアの航空当局によると、フライトレコーダーは2つとも回収された。また「シャペコエンセ」関係者のほかに、記者が21人乗っていたという。当初は、乗員乗客81人と発表されたが、コロンビア当局は後に乗客名簿に名前のあった4人が実際には搭乗していなかったと訂正した。 

「シャペコエンセ」の選手らは、南米サッカー連盟が主催するクラブチームのサッカー国際大会「コパ・スダメリカーナ」の決勝で、メデジンが本拠地のチーム「アトレティコ・ナシオナル」と対戦する予定だった。チーム史上最も重要な試合になるはずだった。 

「アトレティコ・ナシオナル」は、「シャペコエンセ」が優勝チームとなるよう、棄権する意向を示している。  さらに「アトレティコ・ナシオナル」はツイートでサポーターたちに、試合開始時間に白い服を着て競技場に集まってほしいと呼びかけた。

 ブラジル1部リーグの各チームは共同声明で、事故で選手の大半を失った「シャペコエンセ」に、自分たちの選手を無料で提供すると表明。また1部リーグに対しては、「シャペコエンセ」が向こう3年は降格にならないよう、配慮を求めた。 

リオネル・メッシやネイマール、ウェイン・ルーニーなど多数のサッカー選手が、事故死したチーム関係者を追悼するメッセージを寄せている。 

ブラジルのミシェル・テメル大統領は、3日間の服喪を宣言。スペインのトップチーム、FCレアル・マドリードとFCバルセロナは、練習開始前に1分間の黙祷を捧げた。

何が起きたのか 

28日午後10時15分(日本時間29日午後0時15分)ごろ、コロンビア・メデジンに接近する途中で事故機からの交信が途絶えた。それに先立ち、機長は管制塔に電気系統の故障を報告していた。 

山間部に墜落した機体は大破したが、6人が生存。そのうち3人はサッカー選手だった。助かったサッカー選手は次の3人――。 

・DFアラン・ルシェウ(脊椎に負傷) 

・DFエリオ・ゼンペル(頭蓋骨と胸に負傷)
 
・補欠GKジャクソン・フォルマン(負傷箇所不明)

愛称「ダニロ」のGKマルコス・マディリャ選手も、墜落機の中から救出されたが、搬送先の病院で死亡した。 

同乗していた記者21人のうち、6人はフォックス・スポーツ・ブラジルの記者だった。ブラジルのメディア複合企業グローボ社の記者も複数いた。 

英国からは航空調査官3人が、事故原因解明の応援のためコロンビアへ向かった。 

「シャペコエンセ」のゴールキーピング・コーチ、マルセロ・デ・クアンドロス・クンスト氏は、決勝戦に選ばれなかった選手たちと共にブラジルに残った。BBCに対しては、「選手の妻たちが次々と気を失って、救急車で病院に運ばれている。選手が残したシューズを抱きしめている遺族もいる」と話した。 

ブラジルに残っていたアルゼンチン出身のFWアレハンドロ・マルティヌッチオ選手は、アルゼンチンのラジオ局に「負傷したおかげで、助かった」と述べ、「とてつもなく悲しい。乗っていた仲間のために祈ってくださいとお願いするしかない」と話した。

_92712054_header

サンパウロから登場する直前、シャペコエンセのカドゥ・ガウショ監督(36)は、チームのフェイスブックに掲載されたビデオで、メデジンへの旅は「チームにとって今までで一番大事」だと話していた。 

南部サンタカタリーナ州にある人口20万人未満の小さい町の地元チームにとって、コパ・スダメリカーナの決勝進出は、素晴らしいシーズンのハイライトになるはずだった。 

1973年創設のシャコペンセが、ブラジルの1部リーグ(セリエA)に進出したのは2014年。現在は、サンパウロやフルミネンセ、クルゼイロなどの有名チームを抑えてリーグ9位だ。 

アルゼンチンのサン・ロレンツォを下して、コパ・スダメリカーナ決勝進出を決めたばかりだった。ブラジルのクラブ・チームが同決勝に進むのは3年ぶり。 

チーム創設者のひとり、アルバディル・ペリセル氏はBBCブラジルに対して、事故によって「全員の夢が断たれてしまった」と話した。  「私たちは家族だった。ショックだ」

_92721316_mediaitem92721313

ブラジル人が応援チームのジャージーを着るのは珍しくない。しかしシャペコでは、意味するところが変わってしまった。 

早朝から老若男女が、シャペコエンセのスタジアム「アレーナ・コンダ」に次々と集まり始めた。 

生徒たちが競技場に行くのを、学校は留めなかった。商店は閉店したままだ。 

チームカラーの緑と白を身に着けた人たちは、からっぽのピッチを呆然と見つめている。こんな悲劇が起きたなど、まだ信じられないのだ。 

「みんなあんなに謙虚な子たちだったのに」とサポーターのジャイール・イポリトさんは言う。
「わざわざ時間を割いて、僕たちと話をしてくれた。一緒に写真をとったり、病院を訪問したり。そういうチームばかりじゃないので」 
「本当なら今頃、お祝いしてるはずだったのに」とイポリトさんは続ける。自分たちのチームはついにトップチームとして、最初の国際タイトルを手にする直前だったのだ。 

しかし今では、サポーターたちはただ押し黙り、選手たちの帰還をひたすら待つ。 

「遺体がどうなったか知ってる?」と女性に尋ねられた。「追悼式はこのスタジアムでやるの?」

http://www.bbc.com/japanese/38153481
続きを読む