1: Egg ★@\(^o^)/ 2016/08/31(水) 12:44:20.04 ID:CAP_USER9
「いまの僕があるのは加地さんのおかげ」

勝ち点22で首位に並んでいた川崎フロンターレと浦和レッズがともに敗れ、勝ち点で2差に肉迫する価値ある白星。
しかも、ガンバは両チームとの直接対決を残している。セカンドステージ制覇への可能性をも膨らませた長谷川監督は、目を細めながらオ・ジェソクへエールを送っている。

「今日も最後はへばっていたので、(けがが)心配になったんですけど。
いまやれていることが評価されて代表に選ばれたと思いますから、機会があれば自信をもってプレーして、帰ってきてほしい」

ガンバにおけるリーグ戦の出場歴を振り返れば、J2を戦った2013シーズンは5試合しかピッチに立っていない。
アキレス腱を負傷したこともあるが、この時期が長谷川監督をして「外国人選手ですから当初はいろいろと苦労した」と言わしめるのだろう。

「日本語の勉強もしていなかったし、正直、僕はいつも一人でした」

オ・ジェソク自身も苦笑いしながら振り返ったどん底の状態で、気にかけてくれたのが加地亮(現ファジアーノ岡山)だった。
ちょうど10歳年上で、右サイドバックというポジションも重複する元日本代表を、オ・ジェソクは「一生忘れられない人」といまも敬愛してやまない。

「同じポジションだから競争もあるのに、加地さんは自宅で開催したBBQパーティーに僕を呼んでくれたんです。

両親が来日したときには加地さんが経営するレストランでもてなしてくれたし、
髪の毛を切りたいけどどこに行ったらいいかわからなくて困っていたときにも、加地さんが経営するヘアサロンを紹介してくれた。

本当に僕を支えてくれたし、だからこそいまの僕があるのは加地さんのおかげでもある。最終予選では加地さんのためにも頑張りたい」

BBQパーティーにはガンバのチームメイトも数多く招待されていて、オ・ジェソクが溶け込むターニングポイントのひとつになった。
言葉を含めた文化や風習の壁に直面し、本人をして「あまり頑張っていなかった」と言わしめた時期から一念発起するきっかけにもなっている。

■韓国代表での主戦場は左サイドバックか

例えばクラブハウスへ姿を現す時間。練習開始までに余裕をもって到着するように心を入れ替えたが、常に加地が一番乗りだったという。
身体のケアを含めて練習に取り組む姿勢と、チームメイトに対して分け隔てなく優しく接する姿。加地の背中が、日本におけるオ・ジェソクの“羅針盤”となった。

加地は2013シーズンあたりから、チャンスが来たときには海外でプレーさせてほしいとフロントに要望していた。
ガンバの黄金時代を支えた功労者の想いをフロントも尊重していたところへ、2014シーズンの夏にMLSのチーヴァス・USAから完全移籍でのオファーが届いた。

おそらく加地はオ・ジェソクのポテンシャルを見抜き、ガンバの右サイドバックを支える一人になってほしいと思っていたのだろう。
ワールドカップ・ブラジル大会中に開催された送別会の席で、加地はオ・ジェソクと米倉に対してこんな言葉を残している。

「オレのポジションは、これからお前たち2人が争え!」
左太ももの負傷で代表初招集を棒に振った3月も、すぐに加地と連絡を取っている。

「加地さんは『もったいないけど、まだまだチャンスがある』と励ましてくれました。
今回はまだ連絡していないんですけど、ワールドカップ予選を終えて、日本へ帰ってきたら電話します。その意味でも、最終予選のピッチに立ちたいですね」

2016年08月31日(Wed)11時01分配信
http://www.footballchannel.jp/2016/08/31/post171941/4/

写真 

オ・ジェソsク(ガンバ大阪)
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加治選手(ファジアーノ岡山)
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