1: 2016/07/28(木) 17:56:01.50 ID:CAP_USER9
オーバーエイジの3人を除き、「23歳以下」という年齢制限が設けられているオリンピックの男子サッカー競技。ここでの経験を糧にこの先のA代表(年齢制限のない日本代表)選出、ヨーロッパのクラブへの移籍を目指す日本の若き選手たちの中で、すでに代表デビューを果たし、ザルツブルクの一員としてヨーロッパの舞台で戦っているのが、21歳の南野拓実だ。

 セレッソ大阪の下部組織で育ち、高校生だった2012年に二種登録選手としてJ1デビューを果たした。2013年には晴れてトップチームに昇格し、高卒ルーキーとしてクラブ史上初めて開幕戦のスタメンに選出。シーズンを通してレギュラーとして活躍した。

 2013年と言えば、同じくC大阪の下部組織で育った先輩たち――柿谷曜一朗、山口蛍、扇原貴宏らがA代表デビューを果たし、C大阪の選手育成がおおいに注目を集めたシーズンだ。しかしその頃、育成部門の最高責任者を務めていた宮本功氏は当時の高卒ルーキーに対してこんな風に言っていた。

「我々が『こういう選手を育てたい』という理想像を最も体現しているのは、実は拓実なんです。スピードもあって、クイックネスもあって、走れる。攻守両面に関わり続けることができて、周りも見られる。曜一朗は確かにスーパーだったけど、レギュラーになるのに必要なものを身に付けるまで7年かかった。でも、拓実は1年目ですでにすべてを備えているんです」

 プロ2年目の2014年には、そのプレーで日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督を唸らせ、ブラジル・ワールドカップのメンバー入りこそ逃したが、バックアップメンバーに選出。シーズンを終えると、欧州チャンピオンズリーグの常連で、オーストリアの名門クラブ、ザルツブルクへと旅立った。

 もっとも、2014年に立ち上げられたリオ五輪日本代表(当時はU-21日本代表)では、これまで常に主役を演じてきたわけではない。

 2014年は、ひとつ下の年代別代表チームにあたるU-19日本代表の活動を優先。2015年に入ると、今度は活躍の場をヨーロッパに移したため、リオ五輪日本代表(当時はU-22日本代表)に合流する機会がほとんどなかった。

 そうした事情もあって、チーム戦術を自分のものにする時間がほとんど取れないまま迎えた今年1月のリオ五輪アジア最終予選。チームは準決勝でイラクを下して6大会連続となるオリンピックの出場権を獲得したが、南野自身はノーゴールのまま準決勝を終え、ザルツブルクの要請によって離脱が決定。「個人的にはゴールが取れなかったのが残念。優勝をみんなに託して帰りたいと思います」という言葉を残してチームを離れた。

 一方、2シーズン目を迎えたザルツブルクでは「シュートレンジを広げて、サイドからでも得点を奪う」ことを目標に掲げ、シーズン前半で7ゴールをマーク。アジア最終予選を挟んで迎えたシーズン後半にも3ゴールを積み重ね、「ノルマだった」というふた桁ゴールに到達。再び合流したリオ五輪日本代表(U-23日本代表)でも、3月のメキシコ代表戦、5月のギニア代表戦でゴールをマークする。最終予選が終わってから「このチームで自分がどうすれば生きるのか、すごく考えた」ことで生まれたゴールだった。

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