1: YG防衛軍 ★@ 2016/07/25(月) 15:52:11.38 ID:CAP_USER9

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イタリアの名門クラブACミランで10番を背負い、日本代表では絶対的エースとして君臨する本田圭佑。日本を代表するトップアスリートとして知られる彼は、アスリート以外に別の顔を持つ。それはクラブチームとスクールを経営するオーナーとしての顔だ。

「引退してからではなく、現役選手としてスクールを設立したほうが、子どもたちに大きな夢を与えられる」(本田)

そうした考えから、2012年5月に始まったサッカースクールは、国内62カ所(2016年6月末)にまで増えた。今年4月には、千葉県千葉市でユースチームを立ち上げた。これで昨年6月にオーナーとなったオーストリアリーグ2部のSVホルンを頂点に、プロ選手から小学生クラスまで、すべての年代を指導する体制が整った。また、以前から公言していた米国進出に加えて、この6月には中国・上海、カンボジアでサッカースクールを開校することを明らかにしたスクール事業においても、いよいよ海外進出を果たす。

本田のサッカースクールがいよいよ海外へ

――いよいよスクール事業で海外進出するそうですが、中国と米国を最初に選んだ理由は?

本田:いくつかあります。まず、中国と米国ではサッカー熱が高まってきています。それが理由で、他の国よりも始めやすかった。同時並行で同じようなプロジェクトが他国でも動いていました。タイやカンボジアといった可能性があるアジアの国でも調査が進んでいます。

また、それぞれの国でビジネスパートナーの状況が異なります。米国や中国は、他国よりも、サッカーの受け入れ態勢が整っていたので、このタイミングでスタートできました。

――具体的な場所は

本田:中国の上海と米国のサンディエゴです。正確にはロサンジェルスとサンディエゴの中間です。

――4年間で国内に62校を作り、今回新たに海外2校を開校させました。成長を急いでいるように見えるのですが?

本田:僕は事業を始める時、スタッフ全員に300校作ろうと言いました。スクール事業の元々の理念は、(サッカーを通じて)『貧しい子供にも夢を持ってもらいたい』ということです。会社組織にしてまでやりたかったことは、都心部だけでなく、地方でスクールを開校することでした。今回の話は、日本だけでなく、それを海外にまで広げようというものなのです。

組織の「色」でマネジメントは変わる

2015年6月、イタリア名門クラブの現役選手である本田がオーストリア3部リーグ(当時)のSVホルンを取得したことは、国内外のたくさんのメディアで高い注目を集めた。スポーツ新聞やサッカー専門誌のみならず、テレビや一般紙でもトップニュースでの扱いとなった。中でも関心を集めたのが、経営全般に本人が関わり、日本人の勤勉さ、協調性をクラブ経営の中心においたマネジメントを行うというもの。

ACミランで10番のユニフォームを着ることで、小学校の卒業アルバムに書いた将来の夢を実現させた本田圭佑。目標を掲げ、ロードマップを設定し、その実現のためにハードワークする様は、一流のトップアスリートというよりも、極めて勤勉で優秀な経営者の姿だ。本田の経営理念やマネジメントのスタイルは、どのようなものなのだろうか。

――事業が急速に成長すると、スタッフも急増します。ご自身の経営理念や方針を組織に浸透させるのが大変なのでは?

本田:自分の思いを人に伝えるのは、本当に大変だなと日々感じています。新しい社員がたくさん増えています。気を付けているのは、同じことを伝えても、すぐに理解できる人と、なかなか吸収できない人がいるということです。だから、相手に合わせて伝え方を変えています。それはサッカー選手として、他の選手とコミュニケーションを取ることと似ているかもしれません。

――子どもたちに指導するコーチには直接伝えるのですか?

本田:会える時には、できる限り直接コーチと話すように努力していますが、スケジュールの関係で、年に数回しか会えないのが現状です。しかし、組織としては、現場のコーチと自分の間を繋いでくれる責任者がいますので、私の考えやメッセージは、責任者を通じて伝わるようにしています。

(SVホルンは本田が取得してからわずか1年で3部優勝、2部昇格を果たした)

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