1: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2016/07/18(月) 17:42:02.83 ID:CAP_USER9
大きな花束と靴底のポイントに芝生がこびりついたスパイクを手にしながら、浦和レッズFW興梠慎三はチームバスへと乗り込んでいった。直前まで取材を受けていた際にはスパイクしか持っておらず、その後に一度戻ったロッカールームで仲間たちから「手渡されました」と照れくさそうに笑った。

 埼玉スタジアム2002に大宮アルディージャを迎え撃った17日の2016明治安田生命J1リーグ・セカンドステージ第4節。クラブ側はこの“さいたまダービー”に勝利し、リーグ優勝した2006シーズン以来10年ぶりとなる6連勝を達成することを前提とした上で、あるセレモニーを企画していた。

 開幕まで3週間を切ったリオデジャネイロ・オリンピックへ臨む興梠とDF遠藤航への花束贈呈式。しかし、2度奪ったリードを追いつかれて引き分けに終わり、今シーズン最多となる5万3951人で埋まったスタンドからブーイングを浴びせられたこともあって“幻”に終わっていた。

 大宮戦を一区切りとしてチームを離れ、キャプテンを務める遠藤とともに五輪代表としての活動に専念する。57分にFWズラタンとの交代でベンチへ下がり、ゴールやアシストという形で得点に絡めなかった興梠は、不完全燃焼の思いを隠しきれなかった。

「最後なので気持ち良く(オリンピックへ)行きたかったけど、何か気持ち悪い感じで行くことになりました。どうしてもゴールという結果が欲しかったんですけど。でも、行くからには頑張ってきます」

 塩谷司(サンフレッチェ広島)、藤春廣輝(ガンバ大阪)の両DFとともに、23歳以下の年齢制限にとらわれない「オーバーエイジ枠」として、4年に一度のスポーツ界最大の祭典に臨む。もっとも、塩谷と藤春の内定が6月14日に日本サッカー協会から発表されていたのに対し、興梠の発表は同23日まで遅れた。

 日本サッカー協会から届いたオファーに対して、興梠は一度断りを入れている。ちょうど鹿島アントラーズ、G大阪、広島に3連敗を喫し、ファーストステージの優勝争いから脱落した時期のこと。浦和のタイトル獲得を何よりも優先させるからこそ、最大で2ndステージの5試合を欠場するするリオ五輪への想いを自ら封印した。興梠の内定発表までに9日間の“タイムラグ”が生じた理由がここにある。

 代表チームを率いる手倉森誠監督からかかってきた電話を通じて、「一緒に戦ってほしい」と直接ラブコールを送られたことが決意を覆させる理由となったと、興梠自身はオーバーエイジ内定会見の席で明かしている。実はもう一人、興梠の背中を押したチームメートがいた。

「こんなチャンスはない。一度きりの人生で、(オリンピックに)行かないのはもったいないよ」

 興梠から持ちかけられた相談に対して、熱い言葉を投げかけたのはMF柏木陽介だった。いつ、どのようなタイミングでのやり取りだったのかは「それを言ったらダメでしょう。単なるチクりになる」と苦笑いしながら口を閉ざしたが、一つ年上の先輩にぶつけた意見は奇譚のないものだった。

「アイツって意外に恥ずかしがり屋というか、うれしいけど素直に受け入れられないというか。でも、これがオレだったら絶対に行く。たぶん海外(への移籍)どうこうは考えてないやろうけど、あの舞台で活躍できたら別に年に関係なくいいことやし、俺自身は(興梠)慎三が出ていたほうが(五輪を)見たいと思うから、行って全力でプレーしてほしいという気持ちがあった。監督から『出てくれ』と言われることほど光栄なことはないし、(オーバーエイジ枠は)3人しかおらんわけだから。(興梠と遠藤の)2人が頑張ってきてくれる分、俺らはしっかりとチームで結果を残さなきゃいけないし、そういう話はしました」

 当時広島に所属していた柏木自身、ケガもあって2008年の北京五輪出場を逃している。当時は鹿島アントラーズでプレーしていた興梠とも一緒にアジア予選を戦ったが、どちらも本大会の舞台には立てなかった。興梠の能力を認め、銅メダルを獲得したメキシコ大会以来、48年ぶりとなるメダル獲得を目指す手倉森ジャパンの力になると信じて疑わなかったからこそ、真正面から思いの丈をぶつけた。

「(言葉をぶつけたあとは)『うーん』と言いながら、『まあ、そうやな』という感じでしたけど。あとは自分で決めたわけですから」

 その時の興梠の様子をこう振り返った柏木だったが、盟友の檄もあって参戦を決めた今、サッカー人生で初めて世界大会の舞台に立つストライカーは日本に何をもたらすのか。興梠の内定に関して、手倉森監督はこんなコメントを残している。

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