1: 2021/12/13(月) 09:57:03.54 ID:gGxahvTz0
 現役最後のシーズンとなった2006年、足達勇輔監督が第1節に敗れた後に電撃解任され、後任に指名されたのが高木琢也コーチ(現SC相模原監督)だった。

 前年に加入し、シドニーFCへのレンタルを経って復帰していた三浦知良にとっては、日本代表で2トップを組んだ時期もあった高木監督は1学年下の後輩。そのため、監督に就任した後も最初は呼び捨てだったという。

「カズさんも悪気はなく、監督になっても高木と呼んでいた。先輩後輩だし、一緒に代表も戦っているからそう言うよね」

 だが、「若手などが『監督に向かって高木はないでしょ』みたいになって、少しおかしくなった時があった」ため、キャプテンだった城氏が指揮官に、その思いを伝えたという。
「高木さんも偉いよ。俺が伝えたら、カズさんに話しに行って。『これからは高木と呼ばないでくれ。監督と呼んでくれ』と言って、カズさんも納得して『そうだよな。悪るいな』となって、監督と呼ぶようになった」

 城氏は「もし俺が監督だったら、カズさんに『監督と呼べ』なんて言えないよ。でも高木さんは線を引いて、『調子が悪かったら使わない。だからモチベーションもコンディションも上げてくれ』とまで言った。凄いなと思った」と続けている。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/08050c02f168011bfbf9f8c0acd3e98e57eadaa9

7: 2021/12/13(月) 09:58:30.00 ID:/mPEMLdUp
なんで一時期聖人扱いされてたんやろな

8: 2021/12/13(月) 09:58:39.69 ID:atZz6xj70
敬意払おうや

9: 2021/12/13(月) 09:58:53.12 ID:q7qc/uIkM
歪みがひでーよ

引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1639357023

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