1: 名無し@サカサカ10 2021/05/16(日) 19:12:13.23 _USER9
Jリーグで首位を独走する川崎フロンターレ。その攻撃サッカーの土台を築いたのが風間八宏だ。その風間がセレッソのアカデミーで新たなミッションに挑んでいる。風間は何をしようとしているのか? (全2回の1回目/#2に続く)。

これまで風間八宏は常に新たな道に進み、日本サッカーの常識を覆してきた。

 筑波大学卒業後、実業団からのオファーを断り、1984年にドイツのレバークーゼンに入団。1989年にマツダ(現サンフレッチェ広島)に加入すると、「俺はチームを優勝させるために日本に戻ってきたんだ」と言って日本代表を辞退。その言葉通り、1994年に主将として広島の1stステージ初優勝に貢献した。

 指導者になると、さらに大きなインパクトを残す。2012年4月に川崎フロンターレの監督に就任すると、技術にこだわって攻撃的なスタイルを追求。現在Jリーグで首位を独走する王者フロンターレの土台を築いた。

 2017年から約2年半率いた名古屋グランパスでは、さらに狭いエリアに相手を閉じ込めるサッカーに挑み、途中解任となってしまったが、「誰もやっていないこと」に挑み続けてきた。

なぜ風間八宏がセレッソに?
 その日本サッカー界きっての革命家が、新たなプロジェクトをスタートさせた。

 2021年1月、風間はセレッソ大阪アカデミーの技術委員長に就任。ユース、ジュニアユース、スクールの改革を託された。いったい風間は何をしようとしているのか? 

 事の始まりはセレッソの森島寛晃社長と梶野智強化部長が、Jリーグを分析したことだった。どんなサッカーが勝っているか? これからどんなサッカーが強くなるのか?  いろいろな視点から調査し、彼らは風間の存在に行き着いた。

 まず梶野が風間のもとを訪れ、次は森島も同行。最後はセレッソアカデミーの代表理事を務める藤田信良も一緒に出向いた。まさに「三顧の礼」である。

 風間はこう振り返る。

「森島社長らから『ただ単にプロ選手を出すのではなくて、特別なプロ選手を出したい。そのためにいろんなアイデアを出して欲しい』と言われました。セレッソからの熱意を感じたので、私の決断も早かった。ぜひ一緒にやりましょうと回答しました」

「小野伸二の世代までは高卒Jリーガーが強烈だった」
 風間はJリーグの監督を経験し、あらためて日本サッカーの大きな課題に気づいた。

 それは「突出した個」の不足。

 優れた選手はいるし、平均値は間違いなく上がっている。だが、ヨーロッパに目を向けたら、10代の中心選手がたくさんいる。育成改革が必要だと確信した。

「小野伸二の世代の頃までは、高校からJリーグに入って来る選手はみんな強烈でしたよね。野球でいうところの4番打者、エース級がごろごろいた。今は驚きをもたらす選手が減ってしまった。

 昔なら中田英寿、名波浩、小野伸二、中村俊輔たちは特別なプレーヤーとしてヨーロッパへ行った。そういう個性がどんどん薄まっていると感じています」

大空翼、日向小次郎、松山光だって“別のチーム”
 なぜエース級が減ってしまったのか? 風間は育成の構造に原因があると見ている。

「Jリーグの初期は、地域のエースがJユースにさえ集まりすぎることはなかった。それがいつしか、様々なチームが短期的に“今”を見て“その時点のエース”を集めてしまっている。

 たとえばJユースの人数は1チームあたり約30~40人。そこにエースを集めると、エースの役割をできるのは1人になってしまう。『キャプテン翼』だって、大空翼、日向小次郎、松山光らエース級が異なるチームを背負っているから切磋琢磨して、それぞれのスケールが大きくなるわけじゃないですか。

 早くからエースを集めすぎる傾向が、小野伸二のような選手の数を減らしていると思います」

全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/b2a66722ce37618c7f6b3b4bb284e91c40c9f0a7
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