1: 名無し@サポーター 2021/03/17(水) 08:06:40.20 _USER9
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ギリシャ1部PAOKテッサロニキに所属するMF香川真司が17日、32歳の誕生日を迎えた。このほど日刊スポーツの取材に応じ、夢のスペインで味わった苦悩、今年1月に新天地を選んだ舞台裏、Jリーグに復帰しない覚悟と理由を語った。日本代表と3大会連続の出場を目指す22年W杯カタール大会への思いも語った。【構成=木下淳】

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あの選択から20年がたった。01年4月。12歳になったばかりの香川少年は、兵庫からFCみやぎバルセロナに越境入団した。発足わずか3年の新興の街クラブに、中学1年生にして親元を離れて。「サッカーの強豪校でもなければ、Jリーグの下部組織でもないところへのサッカー留学を選んだ。無難な生き方をする人なら、通らない道。僕には無謀な挑戦への免疫がある」。今はギリシャ。エーゲ海に面した第2の都市テッサロニキで32歳になった。

ドルトムント、マンチェスターUと世界に名だたるクラブを21歳から渡り歩いた。欧州CL出場33試合は日本人1位。一方で30代に入ってから「無謀」と表現した通りの道を歩む。19年に、欧州で初の2部リーグとなるスペイン・サラゴサへ移籍した。イタリア、ロシア、イングランド各1部からの誘いもあった中で。

欧州CLに出場するクラブ、年俸が上がるチームも選べたが「幼少時からのスペインへの憧れ」が上回った。14年にマンチェスターUからドルトムントへ復帰した際に、スペイン1部の強豪からのオファーを断った後悔もある。「一部では『落ち目だ』と言われていると知っている」。それでも2部に迷いはなかった。

スペイン国王杯でRマドリード相手に輝いた日もあったが、夢のイベリア半島では固い土質に苦しんだ。足首、甲、膝、太もも裏の痛みが治まらない。4得点にとどまり、チームも3位で昇格に導けなかった。2季目の昨年10月には初の契約解除を経験した。チームがEU圏外枠を別の外国人で埋めてしまい「こんなことがあるのかよ…」。まさかの浪人生活が始まった。

ブンデスとプレミアで優勝し、日本代表の10番を10年前の11年から背負ってきた男が「31歳になって働く場所を得られないキツさ、もどかしさ、焦燥感」を抱えながら1人で練習するしかない。ただ、心が折れなかった要因の1つにはウエスカFW岡崎慎司の存在があった。自宅は車で10分の距離。12ゴールで1部に昇格した先輩に刺激されて「岡ちゃんに負けていられない」と純粋に前を向けた。

4カ月後。欧州5カ国目となるギリシャのPAOK入りを決めた。地中海の空のように「僕の胸は今、晴れ渡っている」。遠回りしたが、新境地を開いた。「理想と現実のギャップが大きく、自己批判しすぎて疲弊して気力を失っていた。少しの余裕がないと心がパンクすることを、ここ数年で理解できた気がする」。

まだ心は強くなる。まだ世界と戦える。「浪人中、たびたび聞かれたことがある。『日本でプレーするつもりはないの?』と」。昨年12月には古巣のC大阪からのオファーが届いたが、丁重に断った。感謝はしつつ「日本に帰る気はなかった。Jリーグのレベルを下に見ているのではなく、欧州に来た時の志を曲げたくないから」。成長を考えた時、欧州以上の地はない。

もう1つ理由がある。ちょうど2年前の19年3月ボリビア戦(神戸)を最後に遠ざかる日本代表だ。当時は主将を任され「俺は今の代表に必要なのか?」と自問自答もしたが、うれしく新鮮な感覚もあった。「若い選手たちと一緒にボールを蹴ることで危機感を覚えた。みんなギラギラしていて飢えていた。成長することに、成功することに」。

戻りたい場所へ。コロナ禍と移籍直後で「この3月も難しいかな」と現状は理解しているが「そろそろエンジンかけて競争していかないと」と意識は高まる。

「最低でも22年のW杯までは、欧州で戦い続ける」

32歳のこだわり。3大会連続となるカタールへの扉の鍵を欧州で探し求める。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b127961478670159f8c4f83b18c5a55fbd17f4c1 


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風吹けば名無し 2099/01/01(月) 00:00:0.017 ID:sakarabo1999


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