1: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2015/10/14(水) 22:03:37.97 ID:???*.net

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 かすかな望みを残し、予選・最終戦のチェコ戦に挑んだオランダだったが、ホームで2-3と敗れてしまい、
来夏のユーロ(UEFA欧州選手権)出場権を逃してしまった。

 1996年のイングランド大会で16ヶ国開催となったユーロは、2016年のフランス大会から24ヶ国へと拡大される。
予選参加国・地域は「53」。およそ半数のチームが予選を勝ち抜く計算となる。

 そのなかでもオランダは、「サッカー強豪国のひとつ」といって間違いない。
近年もW杯では準優勝(2010年・南アフリカ大会)、そして3位(2014年・ブラジル大会)と好成績を残していた。
しかも、ユーロ予選で同じグループとなったアイスランドは好チームなものの、
ヨーロッパのなかではサッカー小国に過ぎない。チェコやトルコも近年は成績が振るわない国だっただけに、
オランダ人にとってこの敗戦のショックは大きい。

 2008年8月、オランダ代表監督に就任したベルト・ファン・マルワイク監督は、マルク・ファン・ボメルと
ナイジェル・デ・ヨンクのMFふたりを中央に置いて、W杯予選ではかなりオーソドックスな
ポゼッションサッカーをしていた。しかし最終ラインの弱さに気づくと、2010年W杯直前の準備期間に
全員がハードワークするソリッドなチームに作り変え、準優勝という結果を手にした。

 2012年7月、再び代表を率いることになったルイス・ファン・ハール監督は、
守備陣の世代交代と予選突破というふたつのテーマを抱えながら、2014年W杯の予選に挑んだ。
陣形をやや引いて、コンパクトに戦うやり方で予選を突破したが、本格的にチームを改造したのは
本大会直前の6週間。国内組を招集した1次キャンプで5バックの守備戦術と攻守の切り替えを叩き込み、
2次キャンプ、3次キャンプで若手をふるい落としながら、最後は国外でプレーする主力選手と合わせていった。

 ヨーロッパの各国代表チームは、2年毎にW杯とユーロが開催されるため、
本大会の2ヶ月後には次のビッグイベントの予選が始まり、結果を出さないといけない。
ファン・マルワイク監督も、ファン・ハール監督も、オランダ代表の守備に弱点があるのをわかりつつも、
予選中は最低限の手当てを施しながら、W杯直前のまとまった準備期間にチームを完成品に仕上げたのである。

 だが、オランダはW杯で成功を収めると、次のユーロで失敗する傾向が強い。
なぜならば、オランダ人はサッカーに関してロマンチストであるため、常にポゼッションを獲り、
敵陣に相手を押し込んで戦うサッカーが大好きだからだ。よって、守備的に戦って結果を残したW杯の後は、
攻撃的なチームへ切り替えようとする。

 2012年のユーロでは、FWアリエン・ロッベン、MFウェスレイ・スナイデル、FWロビン・ファン・ペルシー、
MFラファエル・ファン・デル・ファールトといったスターたちに、「今度は攻撃サッカーで結果を残したい」
という欲が生まれた。一方、CBのスピードが総じて遅く、左SBイェトロ・ウィレムスも経験不足という
弱点のあった4バックは、前で守備ラインを作るのを怖がった。こうして、オランダの陣形は縦に
50メートルも間延びし、セントラルMFのファン・ボメルとデ・ヨングが右往左往する事態となった。

 そして今回のユーロ予選も、2014年W杯で3位となった「守備的なカウンターサッカーからの脱却」が、
オランダサッカー協会(KNVB)のテーマとなり、フース・ヒディンク監督にその任務が託された。
しかし、オランダ国内では、「ファン・ハールの厳しいやり方に慣れてしまった若い選手は、
自主性に任せるヒディンクに合わせるのに苦労するだろう」という見方があった。

「オランダらしいサッカーを取り戻すこと」を掲げたヒディンクだったが、いきなり最初の試合でつまずいた。
2014年9月に行なわれたイタリアとの親善試合で、オランダは守備が乱れて開始10分で2失点(結果は0-2)。
その後、ユーロ予選・初戦のチェコ戦では5バックを採用したものの、1-2で黒星を喫した。
さらに10月のユーロ予選2試合でも、カザフスタン戦で4-3-3に戻したり、アイスランド戦で
0-2の完封負けを喫するなど、ますます迷走することに……。かつての名将も代表チームの惨状に対し、
「私にもどうしていいかわからない」とこぼす始末となった。

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http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/wfootball/2015/10/14/32/index3.php

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