1: Egg ★ 2020/09/29(火) 22:03:50.82 _USER9
◆「和製ロナウド、小野伸二2世...。消えていった天才Jリーガーたち」はこちら>>

またひとり、プレミアリーグのピッチから日本人選手の姿が消えた。武藤嘉紀はマインツ時代、2015年からの3シーズンで66試合20得点と活躍。持ち前のスピードに加え、179cmながら大柄なDFに当たり負けしない身体の強さも認められて、ニューカッスル・ユナイテッドへの移籍を勝ち取った。

だが、プレミアリーグの2シーズンでは、通算25試合に出場してわずか1得点。不本意な成績に終わり、ラ・リーガのエイバルへと新天地を求めた。これで武藤の去ったプレミアリーグには、日本人選手はリバプールの南野拓実だけになった。振り返ってみれば、この世界最高峰リーグに数多くの日本選手たちが挑んでいる。

先鞭をつけたのは、2001年に21歳でアーセナル移籍を決めた稲本潤一(現SC相模原)だ。アーセン・ベンゲル監督が率いた当時のアーセナルは、マンチェスター・ユナイテッド、リバプールと3強を形成し、稲本が加入した2001-02シーズンはリーグ戦とFAカップを制覇した。

当時のアーセナルでは、デニス・ベルカンプ、ティエリ・アンリ、パトリック・ビエラ、ロベール・ピレス、フレドリック・ユングベリ、ジョバンニ・ファン・ブロンクホルストといった錚々たる各国代表が躍動していた。それに対して稲本には、リーグ戦、FAカップともに1度も出番が訪れなかった。

プレー機会を求めた稲本は、2002-03シーズンからフラムにレンタル移籍し、2年間でリーグ戦41試合出場4得点を記録する。その後もWBA(2004-05、2005-06)カーディフ・シティ(2004-05)でプレーし、プレミアリーグには通算で66試合に出場した。

この稲本と2002年日韓W杯でボランチのコンビを組んだ戸田和幸も、プレミアリーグに挑んでいる。毛髪を赤色に染めたモヒカンスタイルで臨んだ2002年W杯でのプレーが認められ、26歳だった2003年1月からシーズン終了までトッテナム・ホットスパーにレンタル移籍し、リーグ戦に4試合出場した。

9/29(火) 11:30配信
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https://news.yahoo.co.jp/articles/67f0b4a6733e9e64989d1271b5f479c9da06dc25

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