1: 首都圏の虎 ★ 2020/09/04(金) 23:58:46.28 ID:CAP_USER9
現時点における日本代表のベスト11を考える時、最も頭を悩ませるのは、2008年から始動した第2次岡田ジャパン以来"鉄板状態"が続いている「左サイドバックの人選」だろう。

なぜなら、そのポジションを長年にわたって守り続けてきた長友佑都が、所属するガラタサライで構想外となり、もう半年以上も実戦から遠ざかっているからだ。

 現在の長友は無所属の状態で、新天地を探している最中(現地8月31日にマルセイユへの移籍が決定)。もし通常どおりに日本代表の活動が行なわれていたとしたら、果たして森保一監督はW杯予選で誰を左サイドバックとしてチョイスしていたのだろうか?

 今年9月で34歳を迎える長友の代表デビューは、今から12年以上も前の2008年5月24日・コートジボワール戦にまでさかのぼる。もちろん、あの強靭なフィジカルとスタミナがあれば2022年のカタールW杯までは十分にプレーできそうだ。

 だが、いずれ近い将来には引退の時が必ずやって来る。少なくとも2年後のカタールW杯を目指すうえでは、長友の負担を軽減するためにも、強力な左サイドバックのバックアッパーが必要であることは間違いないだろう。

 2018年9月にスタートした森保ジャパンがこれまで戦った試合で(東京五輪世代を主体に臨んだコパ・アメリカ3試合とE-1選手権3試合を除く)、基本布陣「4-2-3-1」の左サイドバックで先発したのは、長友が20試合中12試合でダントツのトップ。次いで佐々木翔(サンフレッチェ広島)の6試合で、山中亮輔(横浜F・マリノス→浦和レッズ)と安西幸輝(鹿島アントラーズ→ポルティモネンセ)が1試合という状況だ。

 つまり、長友の控えとしては佐々木が最有力候補となるわけだが、しかしこれまでの代表でのパフォーマンスは芳しいものとは言えず、長友を脅かす域には達していない。しかも所属する広島では3バックの左でプレーしていることを考えても、新戦力の発掘が急務であることは明白だ。

ここにきて急浮上してきた日本代表の左サイドバック問題。だが、過去を振り返ると、実は多くの歴代代表監督たちが同じ問題に頭を悩ませてきた歴史がある。

 日本にプロリーグが誕生してから、最初にこの問題を抱えたのはハンス・オフト監督だった。当時絶対的な左サイドバックとして君臨していた都並敏史(ヴェルディ川崎)が1994年W杯アジア最終予選を前に大きな負傷をしてしまうと、その代役探しに四苦八苦した。

 困ったオフト監督は右の勝矢寿延(横浜マリノス)を左にコンバートしてみたが、思うようにフィットしなかった。すると、本番直前の試合で三浦泰年を緊急招集して左サイドバックに抜擢。しかし、清水エスパルスのボランチでプレーしていた三浦を起用しても機能せず。

 結局、最終予選の3戦目からは再び勝矢に戻すという事態に陥った。"ドーハの悲劇"が起こったイラク戦も、左サイドバックは勝矢が務めた。

 そもそも、オフト監督はプレー不可能とわかっていながら都並をメンバーとしてチームに帯同させ、対戦相手に負傷を隠し続けようとしたのだから、その苦悩ぶりがよくわかる。

全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/2aee5438b4b5015b86e2a5d7fcb48aa2feda1cc3
no title


999: 風吹けば名無し 2099/01/01(月) 00:00:0.017 ID:sakarabo1999



続きを読む