1: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2015/09/23(水) 13:01:34.23 ID:???*.net
故障に泣いた怪物と30歳で衝撃のゴールラッシュを続けるスーパースター

9月22日は、2002年日韓ワールドカップ(W杯)で得点王に輝き、ブラジル代表を世界の頂点に導いたロナウドの39回目の誕生日だった。

史上最高のストライカーとも称された男のバースデーに合わせ、イタリアのサッカー情報サイト「カルチョメルカート・コム」では「フェノーメノ(怪物)とCR7、強いのはどっちだ」というタイトルの記事を掲載。レアル・マドリードのポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドと比較して特集した。

39歳のロナウドの全盛期は、1990年代後半から2000年代前半にかけてだろうか。W杯では日韓大会に加え、98年フランス大会と06年ドイツ大会にも出場(ブラジルの優勝した94年アメリカ大会は17歳でベンチ入りも出場なし)。3大会で合計15得点を挙げ、当時歴代最高記録だったゲルト・ミュラー(西ドイツ)の14得点を超えて新記録を樹立した。
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ロブソン監督の名言「私の戦術はロナウドだ」

ヨーロッパでのキャリアをオランダのPSVでスタートすると、バルセロナ、インテル、レアル・マドリード、ミランといったスペインとイタリアの名門を渡り歩いた。バルセロナに所属していた当時、「攻撃の戦術が無い」と批判されたボビー・ロブソン監督が「私の戦術はロナウドだ」と胸を張って言い返したというエピソードもある。

インテル時代にユベントスとし烈なスクデット争いをした当時のルイジ・シモーニ監督も、同様の言葉を残した。それほどまでに、絶対的な存在だった。

残念だったのは、キャリアの絶頂期に大きなけがをしてしまったこと。インテル時代に負った右膝の負傷は、ほぼ3シーズンに渡って彼のプレーを見る機会を失わせた。実際のところは、一度は復帰したが、その復帰戦で同じ箇所を痛めて長引く不運にも泣かされた。ロナウドがピッチに崩れ落ちた瞬間、
対戦相手の選手が頭を抱えたほどの衝撃シーンだった。

W杯日韓大会後に加入したレアルでは、太り気味の体形がしばしば批判の種になった。しかし、その体格からは想像もできないような瞬発力で抜け出してゴールを決めると「さすが! エル・ゴルド(肥満体)」という横断幕が張られたほど。最終的に11年に母国ブラジルのコリンチャンスで引退したが、クラブ通算518試合出場362得点、代表通算98試合出場62得点という驚異的な数字を残した。

一方の、クリスティアーノ・ロナウドは、まだ30歳でバリバリの現役。日韓W杯が開催されていた当時、ポルトガルのスポルティング・リスボンで頭角を現すと、03年夏に当時の“サー”・アレックス・ファーガソン監督に見いだされてマンチェスター・ユナイテッドに加入。09年夏までにプレミアリーグ196試合出場84得点を記録してきた。

その後、加入したレアルでもゴールを積み重ね、常に「世界最高の選手は誰だ」という話題で主役になる存在である。

イタリアメディアアンケートでは80パーセントが「怪物が上」

同サイトでは「自分にとってロナウドと言えばこっちだ」というタイトルでアンケートも実施している。

常に数字は変動していくものだが、日本時間22日19時30分ごろの時点では、実に83パーセントの票が元ブラジル代表のロナウドに投じられている。今回の企画がイタリアメディアゆえに、当時世界最強リーグと呼ばれたセリエAで強烈なインパクトを残した“怪物”に多くの票が集まった可能性もある。

UEFAチャンピオンズリーグ制覇など、クラブレベルでのタイトルやゴール数ではすでに怪物超えを果たしている異次元の“CR7”だが、サッカーファンの記憶に残る怪物の幻影を超えるためには、道のりはまだ長いのかもしれない。
2015-09-23_14h16_10
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150923-00010009-soccermzw-socc&p=2
引用元http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1442980894/

 
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