1: 2020/05/15(金) 08:34:22.08 ID:8lefe56l9
no title


日本選手の欧州移籍やビッグクラブでのプレーが当たり前のようになった日本サッカー界だが、以前は夢物語だった。世界を目指して海を渡り、道を切り開いた先駆者4人の功績を振り返る。

 ◇衝撃のデビュー

 1998年9月13日。21歳にして当時世界最高峰のイタリア1部リーグ(セリエA)、ペルージャに移籍した中田英寿は、開幕戦のピッチに立った。ジダンらを擁す王者ユベントスをホームに迎え、鮮烈の2ゴール。昇格直後のチームは3―4で敗れたが、目の肥えたファンの日本人への評価を一変させる活躍だった。

 この3カ月前。日本の初出場となったワールドカップ(W杯)フランス大会で、中田はスカウトの目を意識し、金髪にして戦った。屈強な相手にも倒れない球際の強さと、非凡なパスセンスは、全敗したチームの中でも際立っていた。

 欧州各国から複数オファーが届いた中で、弱小のペルージャを選んだ。その理由を昨年、ネットテレビ番組で明かした。「試合に出られる可能性が高いから」。定めた目標へ、いかに早くたどり着けるか。プレー同様、常に逆算できる中田らしい決断だった。

 2年目のシーズン半ばには、名門ローマへ。外国人枠の兼ね合いもあり出場機会は激減したが、2000~01年シーズンのユベントスとの首位攻防戦で再び強烈な印象を残す。2点を追う後半途中にエースのトッティと代わると、約25メートルのミドルシュートを突き刺した。「よっしゃー」と叫んだ場面は、今も語り草。ロスタイムにもミドルから同点弾を演出し、18季ぶり制覇に大きく貢献。日本選手初のセリエA優勝メンバーとなった。

 日本史上最高の選手との呼び声もある中田は、29歳の若さで電撃引退した。06年W杯ドイツ大会のブラジル戦後にピッチに倒れ込んだのが最後の姿。16強入りした10年南アフリカ大会でも33歳。もしその場所に中田がいたらと、考えたファンは少なくない。 

5/15(金) 7:33 時事通信
https://news.yahoo.co.jp/articles/94cc707dca3700cfb093e262c269c2f739a7feff


13: 2020/05/15(金) 08:45:22.40 ID:4WxK0/yu0
>>1
南アフリカでいたらチームの足を引っ張っていた

58: 2020/05/15(金) 09:01:51.89 ID:o3WW4CQ30
>>1
ペルージャ、ローマまでは良かったがその後は・・・・

2: 2020/05/15(金) 08:35:42.97 ID:XTM0oNif0
97年頃のサッカーゲームだとベルマーレにいるよな

3: 2020/05/15(金) 08:37:08.66 ID:kQklNkW10
こんな日本人現れないよ

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