1: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2016/04/02(土) 15:59:47.33 ID:CAP_USER*.net
遠藤保仁。日本代表ではAマッチの最多出場記録を持ち、Jリーグでも昨年、歴代最多となる12回目の
ベストイレブンに選出されたJリーグの顔である。

 2005年のJリーグ初優勝以降、その華麗なパスサッカーで攻撃サッカーの雄としての地位を確立した
ガンバ大阪で、常に中心であり続けて来た遠藤。「冷静沈着」「マイペース」「パスサッカーの司令塔」といったフ
レーズで括りがちだが、実のところ遠藤を支えて来たのは技術だけでなく、メンタル面の強さである。

 昨年10月の浦和レッズ戦で、史上最年少でのJ1リーグ通算500試合出場を達成した際に、
「常にレギュラーとして試合に絡んで行きたいし、まだまだ足りない部分も多いんでね。
これからも少しずつでもいいから成長して、いろんな経験をしていきたい」とルーキーさながらの
謙虚な言葉を口にした遠藤だが、その言葉はマスコミ向けの社交辞令では決してない。

 のちに横浜F・マリノスに吸収合併される横浜フリューゲルスでプロの世界に飛び込んだのは1998年。
以来、プロの世界の厳しさや楽しさを常に最前線で体感して来た遠藤はプロサッカーという世界をこう語る。

「やっぱり、プロになると、いいところはたくさんありますよ。いろんな国の選手と対戦できるのもそうだし、
いろんなところに行って多くのものを学べるのもその一つ。
あと、お客さんの前でプレーできるのは喜ばしいことだし、プロでしか経験できない楽しさですよね。
でも、厳しい面もあります。プロのキャリアなんて、いつ終わるか分からない。
だから、プロとしての普段の生活も非常に重要になって来ますし、その辺は気を使わないといけないところです」

2014シーズンには当時34歳でJリーグのMVPに選出。アジアチャンピオンズリーグで初優勝した2008年には、
アジア年間最優秀選手にも輝くなど国内外で頂点に立った経験を持つ遠藤だが、
「プロ1年目にしてクラブがなくなってしまった」という失望や、ワールドカップのドイツ大会ではフィールドプレーヤーで
唯一ピッチに立てなかった悔しさも味わってきた。
そんな遠藤を支えてきたのは確かな「しっかり止めて、しっかり蹴る」という基礎技術と闘争心だ。
プロサッカー選手を目指す子どもたちにとって不可欠な要素を遠藤はこう考えている。

「大前提は楽しんでやることですね。でも、最近はトリッキーなプレーをしたりするのがクローズアップされがちですけど、
プレーの基本ができていないと、上のレベルに行けば行くほど通用しないんです。
僕も、小さい頃『止めて、蹴る』というのはとことん練習させられましたからね。

 もちろん、ワールドカップなんかを見て、自分が好きな選手のプレーの真似をしたこともありますけど、
基本練習はどれだけやっても、損はないですから。やっぱり、基本練習は非常に重要性を増すかなと思っています。
それプラス、気持ちが強くないとできないスポーツなので技術面ももちろんですが、
メンタル面もどんどん強くなってほしいなと思います。
負けず嫌いなことはいいことですし、目の前の試合に絶対勝つ、って思うことも必要です。
プロを目指す子どもたちにもそういう気持ちを感じながらやってほしいです」

 遠藤選手は男三兄弟の末っ子だ。地元の鹿児島では「遠藤三兄弟」と言えばサッカー界で知られた名だった。
長男の拓哉さんは高校サッカー界の名門、鹿児島実業高校サッカー部で背番号10を託された選手。
そして次男の彰弘さんもプロ選手でアトランタ五輪では日本代表の背番号10をつけてプレーした。
そんな兄二人が憧れの選手だったと公言する遠藤は、どのようにプロサッカー選手への夢を温めて来たのだろうか。

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