1: 2016/04/02(土) 19:51:56.82 ID:CAP_USER*.net
岡崎慎司は、「記憶の人」よりも「記録の人」なのだろうか。

 3月29日のシリア戦に先発した岡崎は、日本代表の歴史のなかでフォワードの選手として初めて、
100試合出場を果たした。本人の口から出てきたのはもちろん、感謝の気持ちとゴールを決められなかった悔しさだった。

 「今日も結局ゴールを決められなかった。もっと頑張れということなのかな、と。
ボクはたくさんの人の後ろ姿をみて、自分は頑張らないといけないと思ってここまで来ただけなので。
本当にその人たちのおかげだと思います。

 でも結局、ゴールを決めれないことが多くて、満足できなくて、下手だからもっと上手くなりたいと、
そのことだけを考えてここまで来た。それをこれからも続けたいです」

 日本代表の歴史をひもといても、100試合出場に到達したのは他に4人しかいない。
岡崎は、代表にデビューした2008年10月9日のUAE戦以降、代表戦の実に86.2%に出場してきた。
大きな怪我もなく、監督が代わっても試合に起用され続ける選手であり続けた。

 シリア戦で日本代表として97試合目の出場を果たした長谷部誠も、岡崎をたたえている。

 「代表は、いつ呼ばれるかわからないのですから。自分もこれから100試合に到達するかもわからないですし。 でも、岡ちゃんは100試合という数字だけではなくて、今までも大事な場面でチームを救うゴールを何度も獲ってきている。 そういう意味で、貢献度は非常に高いと思います」

 岡崎はゴール数でも、48得点で歴代3位につけている。代表戦だけで15ゴールを決めた2009年には、国際サッカー歴史統計連盟から、その年の代表戦で最も多くのゴールを決めた選手として表彰を受けている。 かつて、代表でのゴール数について「自分のこれまでの努力を教えてくれるもの」と語ったこともあった。

岡崎が毎年楽しみにする、「俊さん会」。

 ところで女子会、飲み会、歓迎会。この世に会と名のつく集まりはいくつもあるが、岡崎が毎年楽しみにしているのが、ヨーロッパのシーズンが終わって日本に帰国したときに行なわれる「俊さん会」だ。

 かつて日本代表で10番を背負った中村俊輔と、その会をセッティングしてくれる所属事務所のスタッフだけで行なう食事会のことだ。そこにいるプロサッカー選手は中村と岡崎だけ。それゆえに、中村を質問攻めにできる。

 以前、中村からこんなことを言われた。

 「29歳になるとたぶん、オカは消えていくだろうな(笑)。足が重くなって、オマエみたいな選手は不利になっていくんだよ」

 もちろん、その発言は嫌がらせではない。岡崎が危機感や向上心をバネに成長するタイプなのを知っているからだろう。 中村だからこそ出来る、受け手に合わせたアドバイス、といったところか。だから、岡崎は昨夏にこんな風に話していた。

 「確かに、今のボクは29歳。身体の疲労とかは今までにないくらい難しかったりすることもあるので、これからが正念場だなと思うんです」

 ただ岡崎にとっての中村は、憧れの人という表現は似合わない。むしろ、ともに時代を築こうとしている、 歌手とプロデューサーのような関係に近いのかもしれない。
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ともに控えに回った南アW杯での居残り練習。
2009年に南アフリカW杯の出場を決めたゴールを叩き込む前にも貴重なアドバイスをもらっているし、 代表選手としての心構えからメディアとの付き合い方に至るまで、様々な意見をもらってきた。
2人は、南アフリカW杯の大会直前に同じようにレギュラーから外された。だが大会中に、岡崎は自分以上に厳しい状況に追い込まれた中村に励まされたことを忘れていない。
チームのトレーニングメニューが終わったあとも、「この練習が最後に活きてくる」と声をかけられ、
一緒に居残りでシュートの練習をしたことが何度もあった。

その中村の日本代表での試合出場数は、98試合で止まっている。

南アフリカW杯のメンバー発表の時点で95試合に出場しており、大会前に国際Aマッチが3試合組まれていた。だから、W杯の本番で中村が100試合出場を達成するはずだと、当時はほとんどの人が疑わなかった。しかし――。

そんな中村とともに岡崎は長い時間を過ごし、何に悩んだかの話を聞き、それを自らが成長するための 養分に変えてきたのだった。

 hamu
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