1: Egg ★ 2019/10/13(日) 21:59:35.76 ID:lickMa199
元イタリア代表の“ファンタジスタ”、FWロベルト・バッジョ氏が、トレントで行われたスポーツ・フェスティバルのトークショーに出席し、現役時代について語った。そのなかで、2002年の日韓ワールドカップ(W杯)へ出場できなかったことは大きな失望だったことを明かしている。

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 バッジョ氏は6月に2002年の日韓W杯を控えた1月末に左膝靭帯を損傷。全治6カ月の重傷と診断された中で必死のリハビリを行い、4月21日に復帰した。調子を上げつつあるなかで代表発表を迎えたが、当時のジョバンニ・トラパットーニ監督はバッジョをリストに入れなかった。

 それについてバッジョ氏は「私は2002年のメンバーに選ばれるに値したと思う。それは大きな失望で、パサデナでのことに似ている。もしかしたら、それが今の私がサッカー界から少し距離を置いていることの原因かもしれない。なぜなら、あのPKを高く外してしまったことへのリベンジをずっと探していたから」と振り返っている。

 バッジョ氏の語った「パサデナ」とは、1994年のW杯決勝でブラジルと対戦したローズボウル・スタジアムのある米カリフォルニア州の都市のことだ。その試合で大会中の負傷も押して延長戦まで120分フル出場したバッジョ氏は、PK戦の5人目のキッカーとして登場したがクロスバーの上にシュートを外した。これがブラジルの優勝を決めるキックになり、呆然と立ち尽くすファンタジスタの姿はサッカーファンの記憶に強く刻まれるものになった。

バッジョ不在のイタリア代表、日韓W杯16強の韓国戦で不可解判定の連続により敗退

94年アメリカW杯と02年の日韓W杯の間にあった98年フランスW杯にもバッジョ氏は出場しており、準々決勝のフランス戦ではPK戦でキックを成功させた。結果的にチームは敗れたが、それはある意味でのリベンジを成功させたと見る向きもあった。しかし、本人のなかではそうなってはいなかったようだ。

 日韓W杯でのイタリアは調子が上がらずにグループを2位通過すると、16強で韓国と対戦。バイロン・モレノ主審による不可解な判定の連続もあり1-2で敗退すると、後にMFアレッサンドロ・デル・ピエロ氏や、FWクリスティアン・ヴィエリ氏といった当時の出場選手たちがやりきれない思いを語った大会になった。

 果たして、あのW杯のイタリアにバッジョ氏がいればどのような大会になったのか。世界一になってアメリカのリベンジをという強い思いを持っていたバッジョ氏にとっては、その舞台に立てなかったあまりにも苦しい思い出になっているようだ。

10/13(日) 20:20 フットボールマガジンゾーン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191013-00223077-soccermzw-socc

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