1: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2016/02/08(月) 20:58:28.06 ID:CAP_USER*.net
停滞感の漂う日本サッカー界。踊り場から再成長を遂げるためには何が必要なのだろうか? 我らが小田嶋総理が、「失敗の本質」を看破する。今回は、日本代表の中継でおなじみの「松木解説」を再評価する。実は名将!? 最年少でJリーグを制した監督・松木安太郎!
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テレビ観戦を重ねて思う、実況・解説陣に求めていること昨年の春に足を骨折して以来、まだスタジアムに行くことができずにいる。Jリーグのシーズンが始まったらぼちぼち生観戦の再開も考えているのだが、結局、振り返ってみれば、まるまる一年、スタンドからピッチを見渡す経験から遠ざかっている。
 
その代わりに、というわけでもないのだが、骨折以来、テレビ観戦の頻度は上がっている。昨年の3月から7月まで続いた入院中は特にやることもないので、たぶん生まれて以来最大の密度でサッカーを見た自覚がある。
 
大部分は、病室に持ち込んだiPadとモバイルWiFiの組み合わせで、WOWOWのリーガ・エスパニョーラ中継を観戦したわけなのだが、テレビ観戦でも、たくさん試合を見ると、やはり目が肥えるということはある。 耳も肥える。
 
というのはつまり、解説や実況アナの技術や目のつけどころについてのこっちの採点が厳しくなるということだ。が、それもまた変化する。
 
どういうことなのかというと、何十試合もひとまとめにサッカー中継を観戦すると、画面の中で展開されているプレイを見る目と、イヤホンの中に聞こえてくる実況アナウンスを、ある程度別々に認識することができるようになるということだ。
 
画面は画面で、実況や解説の声とは無関係に、自分の見方で見る。そういうことが可能になる。 と、解説や実況にはろくに耳を傾けなくなる。というよりも、試合とは別の、雑談や豆知識を楽しむみたいな、聴き方になると言った方が良いのかもしれない。なんというのか、テレビ中継の楽しみ方が、ちょっと「ヒネて」くるわけだ。

一人でテレビ観戦する際に感じるさびしさ
退院して、久々に自宅のデカい画面のテレビでJリーグの中継にチャンネルをあわせたり、代表戦や五輪予選の試合を見たりすると、自分のサッカー中継の見方が入院前とはずいぶん違ってしまっていることに気づく。
 
おそらく、入院中に、たった一人で、タブレット&イヤホン視聴環境での試合中継視聴を重ねたせいだと思うのだが、私は、どうやら明らかにさびしがりやになっているのだ。
 
つまり、視聴者としてのオダジマが中継スタッフに求めるものが、「情報」よりも「情緒」に偏ってきているということだ。
 
具体的に言うと、入院前の半可サッカーマニアであった当時の私は、実況アナに、余計な感想を述べないストイックで正確な状況報告を求めていた。
 
ボールホルダーの名前をきちんと伝え、できれば、パスの送り手と受け手の間に入ろうとして惜しいところでパスカットに失敗した敵方ディフェンダーの選手の名前とプロフィールも伝えてほしいといったような要求だ。
 
解説者にも、その日のピッチ状態や、直前のゲームでのキープレイヤーのコンディションや、リーグの中のライバルの動向など、とにかく正確で詳細な情報を適切なタイミングで伝える仕事をこなしてほしいと考えていた。
 
であるから、たとえば、宮本恒靖氏の冷静かつ的確なコメントや、NHKの野地アナウンサーの感情に流されない端正な実況ぶりを高く評価していた。
 
ところが、入院中に孤独な観戦経験を重ねた私は、いつしか、その種の情報提供型のマニア向けの中継に疲労を覚えるようになっていた。あの種のスカパー型のきちんとした中継は、たとえば、かたわらに友人やら息子やらがいて、

「おいおい、そこはシュートだろ」
「やべえ」

 などと言いながら見るのには良い。ピタリとハマっている。
 でも、たった一人で見ているオレに、ただただ技術的だったり戦術的だったりする情報をささやかれ続けても、それはちょっと困るわけだ。
 具体的に言えば、さびしいのだよ。
 で、心に沁みるのが、松木解説だ。
引用元http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1454932708/

 
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