1: Egg ★@\(^o^)/ 2016/02/05(金) 07:51:08.35 ID:CAP_USER*.net
 確かに劇的な一戦ではあった。アジアの頂を争う戦いで、相手は韓国で、しかも0―2からの逆転である。間違いなく前代未聞にして、ひょっとしたらもう二度とお目にかかれないぐらいに希(け)有(う)な戦いでもあった。

 だが、感動はなかった。

 まったく興奮しなかった、と言えばウソになる。だが、ラグビーW杯における日本対南アフリカ戦に比べると、込み上げてくるものの熱や質がまるで違っていた。ラグビーで感じたのが「感動」だとしたら、同じ言葉を当てはめるのが憚(はばか)られるぐらい、気持ちの中に熱くなれない部分があった。

 原因ははっきりしている。

 決勝までの全6戦。日本が戦ったスタジアムは、すべてガラガラだった。素晴らしい試合が成立する上で絶対に欠かせない「最高のオーディエンス」というピースが、完全に欠落してしまっていたのである。

 わたしが心底失望させられたのは、開催国のカタールが登場する試合ですら、スタジアムが満員にはなっていなかった、ということである。勝てば本大会出場が決まる、韓国との準決勝でさえも、スタンドには空席が目立っていた。見たところ、せいぜい1万5000人程度のキャパしかないスタジアムだというのに、である。

 こんな国で、W杯を開催していいのだろうか。

 カタールでW杯が開催されるまでは、まだ6年の猶予がある。とはいえ、もしW杯でも今回のような事態が起きれば、大会の印象は痛ましいまでに暴落することになる。

 たとえW杯本大会への出場経験がなかろうとも、サッカーが根付いた国であれば、開催することに反対しようとは思わない。だが、こうも招致に成功した理由がオイルマネーしかないことを見せつけられると、このまま放置しておいてよいものか、との考えが頭をもたげてくる。

 だが、日本人に彼らを批判する資格がないこともわかっている。

 最高の試合を演出するためには、最高の観客が不可欠である。そして、最高の観客は、最高のスタジアムでなければ発生しえない。

 カタールには、観客がいなかった。ただ、彼らにはまだ6年の月日があり、最悪、動員をかけてスタジアムを埋めることも考えられる。それがどれほど奇矯なものであるかは、今回、北朝鮮の“応援団”が証明していたが、いないよりはマシだ。

 日本には、スタジアム自体がない。

 陸上トラックのついたスタジアムは、無人のスタンドと同じぐらい、サッカーを、あるいはラグビーをスポイルする。

 そして、まだ時間的余裕のあるカタールと違い、日本のラグビーW杯開催までは、あと3年しかないのである。

 「こんな国で、W杯を開催していいのだろうか」――ラグビーを愛する英国人にそう言われたら、わたしには返す言葉がない。(金子達仁氏=スポーツライター)

⇒感動生み出すのは最高の観客(スポニチ)

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