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1: 2018/12/28(金) 17:34:53.56 ID:CAP_USER9
サッカー_02

奇抜なモヒカンへアーと全身に施したタトゥー。インテルに所属するラジャ・ナインゴランは周囲から完全に浮いた存在である。
その風貌、その言動、その考え方から彼は、これまでピッチ内外で幾度となく辛辣な扱いを受けてきた。だが、同時にそんなナインゴランの特異性こそが、彼に自由を与えてもいることも事実だった。

 『フランス・フットボール』誌11月27日発売号ではヴァレンティン・パウルッツィ記者が、セリエAでも独自の個性が際立つナインゴランの素顔に迫っている。

 監修:田村修一

「人としてノーマルな人生を歩みたい」

 ――ロシアワールドカップのベルギー代表に招集されずに、あなたは国際舞台からの引退を余儀なくされました。表向きはそうなっていますが、現実には(代表から排除されたのは)あなた自身の不良を連想させるスタイルと大きな関係があると思いますか? 

 「それこそが僕に押された烙印だ。僕はただ人としてノーマルな人生を歩みたいだけで、自分をサッカー選手や公人と位置づけているわけではない。たしかに危険な場所にも足を踏み入れているけど、ごく普通の生活を求めているだけなんだ。

 僕はプロサッカー選手になれる僥倖に恵まれた。

 でもサッカー選手のステイタスにこだわってはいない。

 家にお手伝いさんがいるわけじゃないし、自分でスーパーに買い物にも行く。ビールも飲むし煙草も吹かす。何も気にしてはいない。昔ながらの職業についている人たちは煙草を吸うのに、どうしてサッカー選手は駄目なんだ? 生活は生活、ピッチはピッチ。別のものだろう」

 ――そうかも知れませんが、サッカー選手は模範を示す必要もあるのではないですか? 

 「いったいどれほどの選手が喫煙してるか知っているか? どうして吸うのを隠さなければならないのか? 真実を隠すべきではないし、選手も普通の生活を送っていることをハッキリと示すべきだろう。喫煙を隠す人間はきっと他のことも隠している。それは僕のやり方じゃない」

「最悪の過去が人間を強くすることも」

 ――それではベルギーという国とあなたの関係はどうなのでしょうか? 

 「僕は自分がここまで辿ってきた道のりに誇りを持っている。僕が正直で真っ直ぐな人間であるといえるならば、その起源は僕の子供時代にまで遡る。

 大変な時代だった。

 本当に酷いことがたくさんあって、説明するのは簡単じゃない。

 でもそんな最悪の過去が、人間を強くすることもあるだろう。子供たちに模範を示すためにも、今の僕は過ちを犯すことはできない」

 ――あなたはインドネシアの血を引いています(父親がインドネシア出身)が、名前以外に何が自分の中にあると思いますか? 

 「あまり多くはないね。その点は否定しない。たしかに外観はアジア系ではあるけれども、僕自身はインドネシアの文化の中では育たなかった。とはいえ自分の出自には誇りを持っている。そうでなければとっくに名前を変えているよ。

 父親との関係は今も難しいとはいえ、両親はあくまでも両親だ。あるときインドネシアに彼らを訪ねた。もう一度可能性を探りたかったからだが、残念ながらうまくはいかなかった」

「ドラッグの売買や窃盗で、いかがわしい……」

 ――では100%ベルギー人であると感じていますか? 

 「アントワープの人間だという意識は強い。歴史のあるとても素晴らしい街だ。

 その中でも僕はリンケルーフェルの出身だ。様々な国からの移民が仲良く暮らしている地区だ。

 ドラッグの売買や窃盗で、いかがわしい収入を得ていた人たちもたくさんいた。そんな生活をしたくはなかったから、僕は地域のプロジェクトに最年少で参加した。

 サッカーをやりたければ、まず宿題を片づけなければならない。つまりプロになるためには、学業をこなす以外に道はない。そんな子供たちの力になりたいと心から願っている」

「自分の限界を置かないようにしている」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181228-00832970-number-socc&p=3

2: 2018/12/28(金) 17:35:42.88 ID:CAP_USER9
 ――そうした子供時代の困難な経験がプレースタイルにも反映されていると思いますか? 

 「特に僕のスタイルというわけじゃない。選手はそれぞれ自分のスタイルがある。テクニカルな選手もいれば、屈強なタイプもいる。スピードのあるタイプも、知性で勝負するタイプもいる。

 僕が昔からずっと持ち続けているのは、進歩したいという意志だ。年とともに、そして試合ごとに、僕は自分の限界を置かないようにしている」

 ――代表監督だったジョルジュ・レーケンスは、あなたにはベルギー人にはない勝者のエスプリがあると述べています。

 「彼は僕にフランス語で話しかけた。僕がフラマン語を話したくないと思っていたからだ。そのことが、彼が僕をどう理解していたかを物語っている。

 ただ、そこを別にすれば、それもまた僕のプレースタイルの一部だ。僕には大きな才能があるけれども、何かに抜きんでていたわけではなかった。僕のスタイルがチームメイトとの競争に適していたに過ぎない」

「本物のサッカー選手になったのはイタリアで」

 ――ベルギーを復活させた育成改革の申し子ではないあなたは、サッカーに関してはイタリア人のように見なされています。

 「僕が育ったのは別の系統だった。ベルギーを離れたのは随分昔のことで2005年だった。ベースはベルギーで学んだが、技術・戦術面で本物のサッカー選手になったのはイタリアにおいてだった」

 ――あなたは以前こう言っています。「僕は今のポストが好きだ。守備も構築もフィニッシュもすべてできるから」と。その3つの中では何が一番好きですか? 

 「優れたチームとは、コレクティブな貢献ができる優れた選手たちによって構成されたひとつの身体のようなもので、僕もその一部だ。

 僕はチームメイトのために貢献したい。

 チームという身体が最も効果的に機能するために」

「17歳で僕はサッカー以外のすべてを棄てた」

 ――サッカーはどんな風にしてあなたの人生に入ってきましたか? 

 「4歳のころから公園でボールを蹴っていた。ボールと一緒に生まれてきたと当時から言われていた。そこから先は少し運も必要だった。

 然るべきタイミングでステップを登ること。目の前のチャンスを確実にモノにすること……。

 ただ、運に恵まれただけというわけではない。常に集中し、献身してきた結果でもあるからだ。

 17歳で僕はサッカー以外のすべてを棄てた。(サッカーで)金を得る機会を得たら、家族を助けるために躊躇なくそこに飛び込むだろう」

 ――苦境を脱したいという意志が、あなたがここまでのキャリアを築いた唯一の理由ですか? 

 「イタリアのピアツェンツァに行った。得たのは当時のサラリーの最低額だったが、僕にとっては大金だった。月にわずか1000ユーロの金が、家族の生活を変えたんだ。

 イタリア行きは、家族に救いの手をさしのべるためだった」

「とても大きな責任を背負っているんだ」

 ――つまりあなたの未来の問題だけではなかったと……。

 「その通りで、僕はここまでに得たものに決して満足していないし常にそれ以上を求めている。うちは大家族で年上の異母兄弟が4人いる。

 双子の妹(同じくプロサッカー選手のリアナ・ナインゴラン)もいる。

 彼らすべてが幸せに暮らせるように僕は努力してきた。とても大きな責任を背負っているんだ。

 数年前に亡くなった母親のリジをよく思い出すよ。彼女は僕の人生で最も重要な存在だった。何も持っていなかったけど、すべてを犠牲にして僕に様々なものを与えようとしたからね」

「僕はすべての人間を許容する」

 ――あなたは同性愛排斥に反対する運動にも加わっています。それもまた身近に感じているテーマですか? 

 「双子の妹がホモセクシャルなんだ。でも彼女は幸せに暮らしている。彼女の影響もあって、僕も関心を持っている。

 僕の考え方はシンプルだ。

 もしも病気の子供に憐れみを感じたら、誰の迷惑にもならない選択をした人間に対しても同じ視線を向けるべきだ。

 ひとりの人間の未来と幸福は、第三者が決めるべきことではない。

 僕はすべての人間を許容する。

 それが僕の人生におけるヴィジョンなのだから」

引用元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1545986093

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