1: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2016/01/28(木) 19:22:31.06 ID:CAP_USER*.net
2015年シーズン、J1昇格プレーオフ決勝まで何とか勝ち上がったセレッソ大阪は、アビスパ福岡と対戦。
玉田圭司の先制点でリードしたものの、後半42分という土壇場で追いつかれ、1年でのJ1復帰を逃した。
森島寛晃、香川真司、清武弘嗣、山口蛍といった日本代表選手を次々と送り出してきた西の名門は、
今季こそJ1の切符をつかまなければならない。
強い意気込みを表すかのように、C大阪は14年のワールドカップ(W杯)後にスイススーパーリーグの
バーゼルに移籍した柿谷曜一朗、14年1月からボルシア・ドルトムントU?23で2年間プレーしていた
丸岡満の欧州経験者2人を呼び戻し、16年シーズンの戦力に加えた。
昨季キャプテンだった山口蛍が欧州に新天地を求めた後、柿谷、丸岡、杉本健勇(川崎フロンターレから復帰)というアカデミーの生え抜き選手が復帰したのは、クラブにとって前向きな要素だ。
今季から正式に指揮官となった大熊清監督も「前(アタッカー陣)の選手層が厚くないと、タフなJ2で凌駕(りょうが)することができない。彼らを獲得できたのは大きい」とプラス面を強調していた。

1年半ぶりにエースナンバー8を背負うことになった柿谷は、スイスで想像を絶する苦境を味わった。
14?15シーズンはパウロ・ソウザ監督との確執が表面化し、リーグ戦14試合出場3ゴールにとどまった。
指揮官がウルス・フィッシャー監督に代わり、心機一転、挑んだ今季は開幕節のファドゥーツ戦に右MFでスタメン出場。待望のゴールも奪った。
 本人は大きな自信をつかんだが、間の悪いことに、左足打撲の悪化が判明。
1カ月の離脱を余儀なくされてしまう。その間にチームには新戦力が加わり、柿谷自身もけがを繰り返すなど悪循環が続いた。結局、前半戦はリーグ4試合出場1得点と前年を下回る成績に甘んじた。
 昨年10月の時点では「バーゼルとの契約は4年あるし、もう少しじっくり考えたい」と残留の意向を示していた柿谷だったが、実戦の場から離れたままでは自身のキャリアにマイナスにしかならないと考えたのだろう。
最終的に古巣への復帰を決めた。

「12月に帰国して、セレッソの自主トレに参加した時はまだ決めきれていなかったけれど、最終的に戻る決断をした。8番を空けて自分を待っていてくれたクラブには感謝しているし、いろいろな面で恩返しをせなあかん。
もちろん俺1人だけで絶対にチームは変わらへんけど、12年に徳島(ヴォルティス)から戻ってきた時より年齢もいっているから、自分が引っ張らなあかんと思っている。J2に150試合(実際は148試合)出ているからよく分かるけれど、J2はホンマに難しいリーグ。とにかく試合に出られる体作りをしっかりしないといけない」(柿谷)

一方の丸岡は、セレッソU?18時代に同クラブの育成サポート組織であるハナサカクラブの支援を受けて4度の欧州遠征に参加。そこで当時ドルトムントを率いていたユルゲン・クロップ監督の目に留まり、期限付き移籍という形で引き抜かれた。
その後は主にU?23で活動していたが、トップチームの負傷者続出もあって、14年9月のマインツ戦で
ブンデスリーガデビュー。香川と同じピッチで戦う機会を得た。今季も期限付き契約延長となり、
昨年7月の日本遠征にも参加。川崎フロンターレ戦ではゴールも奪うなど、完全移籍に近づいた印象も強かった。
だが、トップの指揮官がトーマス・トゥヘル監督に代わり、U?23も監督交代した影響も大きかったのか、志半ばで古巣に戻ることになった。本人は欧州での活躍を思い描きながらレベルアップに励んでいただけに、今回の古巣復帰には複雑な感情もあったはずだ。
それでも「やっぱりトップチームの試合に出ることは意味がある。今のお前だったら日本で出られる。
五輪や日本代表を目指すのなら、一度Jリーグに復帰するのも良い方法じゃないか。お前ならまた欧州に戻って来られる」という先輩・香川の言葉が心に強く響き、スッキリした気持ちで今季J2の舞台に挑める状態になったという。

「ドイツは日本ほどグラウンドが良くないし、球際も当たりも激しい。そういう環境で身に付けてきたものをセレッソで出さなきゃいけない。僕はJリーグが初めてなので、まずはJ2の試合を勉強して開幕戦に合わせたい」と本人も強い意欲を持って練習をこなしている。

 大熊監督も「丸岡はとにかく走れるし、運動量がホントにすごい。ドルトムントではあのくらい走らないと相手に捕まってしまう。その厳しさを体感してきたアドバンテージは大きい」と高評価している様子だ。

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