1: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2016/01/20(水) 19:24:59.44 ID:CAP_USER*.net

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香川真司が所属するボルシア・ドルトムント。そのドルトムントを退団した後はキャリアがうまくいっていない
(もしくはいかなかった)選手たちについて、『squawka』が伝えていたので紹介する。
括弧内はドルトムント在籍時のスタッツ。

FW ルーカス・バリオス(100試合49得点)⇒現パウメイラス
パラグアイはいいストライカーをそれほど多くは生み出していない。だが、そうなった時、そのストライカーたちは
大抵アンストッパブルな存在となる(ロケ・サンタ・クルス、オスカル・カルドーソなどを見てみればいい)。
ルーカス・バリオスのケースも間違いなくそれに該当した。ドルトムントでの1年目に23ゴール。3シーズン後、
中国の広州恒大へ移籍したが、そのキャリアは期待されていたようなピークに達していない。

FW ネルソン・アエド=バルデス(126試合17得点)⇒現シアトル・サウンダース
2000年代後半ドルトムントが期待を懸けていたもうひとりのパラグアイ人FW。
だが、バルデスはバリオスほどには成功しなかった。
BVBでの4シーズンで17ゴールを決めた後、スペインのエルクレスへ売られた。その後、ロシア、UAE、ギリシャ、
ドイツ、そしてMLSへと放浪している。
(ただ、彼は純粋なストライカーというタイプではなく、前線で動き回るチャンスメーカーといった印象。
ゴール数だけでは計れないタイプ)。

DF フィリップ・デーゲン(75試合1得点)⇒現バーゼル
2008年にドルトムントからフリーでリヴァプールへ移籍。当時、この多様性のあるスイス人選手が
リヴァプールに加えるであろうものに誰もがワクワクしていた。
だが、加入数か月で肺を痛めたり、中足骨を骨折したことで、アンフィールドでのキャリアが始まることはなかった。
2シーズン後、彼はリヴァプールを去った。今は育ったバーゼルに戻っており、そこでの物事は彼にとって
かなりうまくいくように見える。

FW モハメド・ジダン(73試合15得点)⇒現アル・アンターグ・アル・ハルビー
ジダンという名前を持つことは、どんな選手にとっても間違いなく重荷になる。彼らはあの
ジネディーヌ・ジダンと同じレベルには達せないだろうから。
そのなかで、モハメド・ジダンはドルトムントでうまくやっていた。だが、かつての古巣マインツへ戻った後は輝けなかった。

MF ダヴィド・オドンコー(103試合4得点)⇒引退
その驚異的なスピードでドルトムントにおいて嘱望されるウィンガーだったオドンコー。だが、ドルトムントの
下部組織を経た後、ファーストチームではそれを発揮し切ることはできなかった。
ポテンシャルを持っていることは間違いなかったので、2006年にベティスが彼にチャンスを提供した。
だが、それは意味を成さなかった。一旦ドイツに帰った後、ウクライナのゴベルラ・ウジュゴロドでもプレー。
2013年に29歳で現役から引退した(彼の場合は怪我にも悩まされた)。

DF エヴァニウソン(156試合4得点)⇒引退
サイドバックとウィングとして左右どちらでもプレー可能な選手として、ドルトムントで6年を過ごしたエヴァニウソン。
2001-02シーズンにはマイスターシャーレを勝ち取るなど、このクラブにおいてはソリッドな選手であった。
だが、2005年にアトレチコ・ミネイロへ移籍した後、物事が同じように運ぶことはついになかった。
2013年に引退するまで9つのクラブを渡り歩いた。

FW マルシオ・アモローゾ(59試合28得点)⇒引退
彼は肩書き上では欧州の多くのビッグリーグ・ビッグクラブでプレーした選手のひとりだ。ドルトムント、ミラン、
ウディネーゼ、マラガ…。だが本当にうまくやることはできなかった。
ヴェストファーレンでの時間が彼のキャリアにおいて最高の瞬間だっただろう。だが、ドルトムント退団後は
欧州とブラジルを行ったり来たりとなり、2009年に引退した。

FW ヴィクター・イクペバ(30試合3得点)⇒引退
モナコでゴールを量産後、1999年にドルトムントにやって来たナイジェリア人FWイクペバ。
代表で同僚だったMFサンデー・オリセーとタッグを組むも、すぐにマティアス・ザマー監督と
うまくいかなくなってしまった。 結局3シーズン後に退団。その後はスペイン、ベルギー、リビア、カタールなどで
プレーし、2007年に引退した。

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