1: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2016/01/16(土) 18:48:07.38 ID:CAP_USER*.net

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 本田圭佑は2014年1月にミランに加入。背番号10番を選択した。

 ミランのアドリアーノ・ガッリアーニCEOによれば、本田は当初は日本代表での「4番」もしくはCSKAモスクワでの
「7番」を希望していたとのこと。しかし、両番号は既にサリー・ムンタリ(4番)とロビーニョ(7番)がつけていたため断念した。
 そこで、ガッリアーニCEOがケビン=プリンス・ボアテングがシャルケに移籍し空席となった
「10番」を提案すると、喜んで受け入れたとされている。
 後に本田は「目の前に10番をつけるチャンスがあったら、違う番号を選びますか?という話ですよ」と語った。
「選ぶ時にプレッシャーのことは考えなかった」とし、「後悔することはない」と決断している。

 背番号が現在の固定制ではなくポジション準拠となっていた時代に、ミランの10番として象徴的に語られるのが
ジャンニ・リベラ(写真:左)とルート・フリット(写真:右)だ。
 リベラは1960年から1979年にミランで活躍したイタリア人MF。チームをセリエAで3度、コッパ・イタリアで
4度、チャンピオンズ・カップ(現チャンピオンズリーグ)で2度の優勝に導いた偉大なカピターノ(キャプテン)である。
 セリエAデビューは15歳281日で、同リーグの歴代最年少記録2位を保持している。2004年にペレが選んだ
「偉大なサッカー選手100人」に選出され、国際サッカー歴史統計連盟(IFFH)による「20世紀世界最優秀選手」の
19位に選ばれた。
 ルート・フリットはミランを世界的に有名たらしめた「オランダ・トリオ」の一員として活躍したレジェンドだ。
1987年から1993年、1994年にミランに在籍し、アリゴ・サッキ監督とファビオ・カペッロ監督のもと
「グランデ・ミラン」を形成した。
 セリエAで3度、コッパ・イタリアで1度、チャンピオンズ・カップで2度の優勝を経験。IFFHによる
「20世紀世界最優秀選手」の18位に輝いている。

 フリットから背番号10番を継承したのがデヤン・サビチェビッチだ。1992年から1998年までミランに所属し、
1995/1996シーズンから固定背番号制が開始されたことで、「10番」の象徴となった。
 ファンタジー溢れるプレースタイルは「トップ下」のイメージそのもので、ミランでは3度のセリエA優勝に貢献した。
 1998年から背番号10番を背負ったのはズボニミール・ボバン。サビチェビッチと同じくユーゴスラビア圏の
系譜を継ぐ選手で、ユーゴスラビア代表で8試合、クロアチア代表で51試合に出場した。
1998年フランス・ワールドカップではクロアチア代表を3位に導いている。ミランでは4度のセリエA優勝と
1度のチャンピオンズリーグ優勝に貢献した。
 ユーゴスラビア紛争の際には「私は政治家100人にできないことができる」と発言するなど、
雄弁さが特徴的な人物でもある。「サッカーを戦争だと言う者は、本当の戦争を知らない」という名言はあまりにも
有名だ。その能力を活かし、現在はイタリアで辛口サッカー解説者として愛されている。
 2000年代に入り、ミランの背番号10番はマヌエル・ルイ・コスタに継承された。同選手はミランだけではなく
ポルトガルの伝説として知られている。ポルトガルのベンフィカで活躍した後、セリエAのフィオレンティーナに移籍。
同クラブでガブリエル・バティストゥータとともに黄金時代を築き、2001年にミランに加入した。
 ポルトガル代表ではEURO1996でベスト8、EURO2000では母国をベスト4に導いている。ルイ・コスタもまた、
ペレが選んだ「偉大なサッカー選手100人」に選出された。

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