1: 名無し@サカサカ10 2018/08/06(月) 13:51:25.80 _USER9
 ワールドカップ決勝の翌日、モスクワのアパートで原稿に忙殺されながら、その合間にテレビのフランス語放送を見ていた。フランス代表の凱旋の様子をライブで延々と映しているのを眺めながら、世界チャンピオンになるというのはこういうことなのだと改めて思った。「人生が変わる」と言ったディディエ・デシャンの言葉をテレビのシーンから実感できた。

 同じフランス語放送は、クロアチアの凱旋の様子も併せて映し出していた。勝者と何ら変わることのない、ある意味では勝者フランス以上の熱烈な歓迎をクロアチア代表は国民から受けた。イビチャ・オシムが言うところの「小さな国が何かを成し遂げることの意味と意義」のひとつがここにあるのだと素直に思えた。

『フランス・フットボール』誌7月24日発売号は、ワールドカップ優勝の余韻を届ける写真の数々とともにキリアン・ムバッペのロングインタビューなどを掲載して大会をふり返っている。

 ムバッペのインタビューに続くのが、ルカ・モドリッチのインタビューである。

 クロアチアのリーダーにしてワールドカップ最優秀選手。悲運のファイナリストとなった彼、そしてチームメイトたちも、祖国には英雄として迎えられた。それは彼の心を癒すことになったのか……。誇り高き敗者の心境に、ズドラブコ・レイッチ記者が迫った。

■空港から都心までの道はファンで一杯に。

 それはまるで人間が作り出した潮汐のようだった。

 クロアチア代表の行く手には、赤と白の衣装を身に纏った人々の波で満ち溢れている。決勝がおこなわれた7月15日の翌月曜、ザグレブに戻った選手たちは、まさに人波に飲み込まれんばかりだった。

 クロアチア初代大統領の名を冠したフラニョ・トゥジマン空港から、市の中心地であるバン・イェラチッチ広場までは、祖国の英雄たちを一目見ようとする群衆で埋め尽くされた。その数は、メディアの当初の概算では35万人と推定されたが、後に警察は50万人と発表した。クロアチア全人口の実に15%にあたる大観衆の中を、選手たちは6時間かけてパレードしたのだった。

 実際、彼らが成し遂げたのは歴史的な快挙であり、1998年大会の3位を上回る成績をあげての帰国は、凱旋と呼ぶに相応しかった。

 その喝采の中心にルカ・モドリッチはいた。

 このイベントの後にあった家族とのバカンスに出かけるまでの合間に、モドリッチが心境を語った。 
  
 
  
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http://number.bunshun.jp/articles/-/831525

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