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1: 2018/07/14(土) 00:56:17.06 ID:CAP_USER9
●「パスサッカー」と「球際の強さ」は決して相反するものではない。両立させてこそ、世界と戦える

西野朗監督に率いられた日本代表は、ロシア・ワールドカップでグループリーグを突破。
さらに決勝トーナメント1回戦でも強豪ベルギーと激しく、それでいてフェアな戦いを繰り広げ、大きなインパクトを残した。
 
2点をリードしながら勝ち切れなかったのは非常に残念だが、ヴァイッド・ハリルホジッチ前監督の解任から本大会までの準備期間の短さを思えば、大成功だったと言っていい。
成功を呼び込んだ要因のひとつに、パスサッカーが機能したことが挙げられる。

コロンビア戦では開始早々にPKで先制し、しかも数的優位に立つという幸運があったが、その幸運を勝点3に結び付けられたのは、
しっかりとパスを回して相手の体力を奪う戦い方ができたからだ。また第2戦でも、ポゼッションの時間を長くすることでゲームをコントロールし、セネガルの最大の武器であるスピードを封じ込めている。
 
日本が試合展開に合わせて自在に戦い方を変えられたのは、ボールを保持できるという確固たるベースがあったからこそだ。
しかも、柴崎岳というパスの名手が覚醒したことで、ただ中盤でボールを回すだけでなく、長いパスで一気に敵陣を崩すやり方も織り交ぜることができた。
 
セネガル戦の1点目につながった長友佑都へのロングパスや、ベルギー戦の原口元気への絶妙なスルーパスは、まさしく世界水準だった。
 もちろん、どんなサッカーを志向するにしても、「個の力」の強化は絶対に不可欠だ。1対1のコンタクトプレーで負けていたのではパスも回せないし、ゴール前で厳しいマークを受けながら正確で強いシュートを打つこともできない。
 
それは守備の局面も同じ。今大会で強豪国相手に好勝負を演じられたのは、CBの吉田麻也と昌子源が空中戦で引けを取らなかったからだ。
「パスだけ」でも勝てないし、「デュエルだけ」でも勝てない。スピード、高さ、パワーなどすべての面で強化が必要なのは明らかだ。「パスサッカー」と「球際の強さ」は決して相反するものではない。両立させてこそ、世界と戦えるのだ。
 
それでも、日本サッカーが武器とすべきはやはりパスサッカーだ。
どれだけフィジカルを強化し、対人プレーを鍛えたとしても、あるいは高さやスピードのある選手を発掘できたとしても、それを武器にヨーロッパやアフリカの国々に勝てるとは思えない。

7/13(金) 18:46配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180713-00043904-sdigestw-socc 
●パスの技術を極めて独自性を追求すべき

ショートパス戦法を編み出したスコットランド人にサッカーを学んだビルマ(現ミャンマー)人留学生のチョウ・ディンから、そのスタイルを伝授されたのが1920年代の初め。

以来、第二次世界大戦前にはフィジカルに優れた中国や朝鮮半島のチームに勝つため、また戦後には独立して日本のライバルとなった韓国と対等に戦うため、
さらにはヨーロッパや南米の先進国に挑むため、日本サッカー界は100年近くにわたってパスサッカーを磨いてきた(1960年代から70年代にかけて技術レベルが低下し、パスサッカーができない低迷期もあったが)。
 
もちろん、ワールドカップで勝ち上がるには、現状ではパスの精度もスピードも足りない。だが、将来的にはその技術をさらに究めて、正確かつ高速のパスを回すことで敵陣を切り裂けるレベルを目標としたい。
 
確かに、縦に速いサッカーなどヨーロッパの最新トレンドも取り入れる必要はある。しかし、それに振り回されるのは愚かだ。同じ土俵で戦っていたのでは、いつまで経っても彼らを超えられない。
やはり日本人選手の特性を活かすべく、独自性を追求していくべきではないか。
 
集団的なパスサッカーで、世界を(少しだけ)驚かせることに成功したロシア・ワールドカップ。これが、日本サッカーの進むべき方向性を示す「道標」となるよう期待したい。

文●後藤健生(サッカージャーナリスト)


引用元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1531496796

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