1: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2016/01/02(土) 14:28:36.37 ID:CAP_USER*.net

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同じ言葉を3度繰り返した。2年ぶりに元日に行われた天皇杯決勝。4万3809人が詰めかけた
味の素スタジアムで浦和レッズを2対1で振り切り、連覇を達成した試合後の取材エリア。
来シーズンの去就を問われたガンバ大阪のFW宇佐美貴史は、「ノーコメント」を3連発した。
もっとも、すべての「ノーコメント」で表情とニュアンス、そしてトーンが異なっていた。

――来シーズンに関してはどのような考えなのでしょうか。
 数秒の沈黙の後に「ノーコメントでお願いします」と返した宇佐美だったが、心なしか「ノー」の部分の
語気をやや強めている。この場では話しません、という意思表示にも聞こえたなかで、すかさず次の質問が飛ぶ。

――まだ決まっていないのか、あるいはこれから考えるのでしょうか。
 今度は苦笑いしながら「ノーコメントでお願いします」と、懇願するように言葉を返した。
取材者を見つめる姿からは、察してくださいよ、という本音が透けて見えた。

――それでも、自分のなかではもう決めているのでしょうか。
 最後は間髪入れずに「ノーコメントです、もう。はい、すみません」と、去就に関する質問を終わりにしてほしい
とばかりに頭を下げた。

シーズンが終わりに差しかかった段階で、宇佐美に対してヨーロッパの複数のクラブが興味を示しているという報道が飛び交った。
具体的な動きを見せたのはブンデスリーガのシュツットガルト。ドイツ国内で「宇佐美獲得へ動き出す」と
報じられたのは昨年11月上旬。実際に同22日に行われたモンテディオ山形とのセカンドステージ最終戦を、
スカウト担当のギド・ブッフバルト氏が視察に訪れている。
元レッズ監督のブッフバルト氏は宇佐美に対して高い評価を与えたが、その後の具体的な動きは
報じられていない。同じくブンデスリーガのブレーメン、フランスリーグの強豪マルセイユ、オランダの
名門PSVの名前もあがったが、シュツットガルトと同じ状況が続いたまま年を越した。
宇佐美は2011年夏に、ブンデスリーガの強豪バイエルン・ミュンヘンへ移籍。大きな注目を集めたが、
ワールドクラスのスター選手たちが繰り広げる、弱肉強食の競争のなかにすら加わることができず、1シーズンで戦力外通告を受けた。
本人の強い希望で挑戦を1年延長。ホッフェンハイムへ新天地を求めたが、シーズン終盤になると
出場機会が激減。シーズン閉幕を待たずに、2度目の戦力外通告を受けた。
バイエルン・ミュンヘンとホッフェンハイムへは、ガンバからの期限付き移籍という形だった。
宇佐美の心のなかには納得できない部分があったが、ガンバから期限付き移籍の再延長はないと
通告を受けたことで、2013年5月にガンバ復帰を決めている。
半ば強引に宇佐美を呼び戻した当時の背景を、ガンバの梶居勝志強化本部長はこう語ったことがある。
「ドイツでの2年間の下積みで得たものを、さらにパワーアップさせるためのリセット。まだ21歳ですから」
宇佐美自身も、当時はJ2を戦っていたガンバでの復帰をこう位置づけていた。
「ヨーロッパという選択肢も、もちろんありました。ヨーロッパでもう1年やるほうがいいのか、ガンバに戻って
力を蓄え直すほうがいいのか。すごく悩みましたけど、どちらが選手としてより大きくなれるのかを考えたときに、
人はそれぞれ考え方があると思いますけど、自分はガンバでもう一度やり直した方がいいという結論に達しました。
自分にとっては、日本に帰るとなったらガンバしかないと常に考えていました。J1にいようが、J2にいようが、
その下にいようが、自分にとってガンバはガンバ。J2への抵抗はありませんでした」

その後の軌跡は、あらためて説明するまでもないだろう。2013年シーズンは後半戦だけで、
出場試合数よりも多い19ゴールをマーク。ガンバの1年でのJ1復帰に大きく貢献した。
けがで出遅れた2014年シーズンは、夏場から右肩あがりの曲線を描き出した宇佐美のパフォーマンスに
比例するようにガンバも上昇。2000年シーズンの鹿島アントラーズ以来となるシーズン三冠を独占する原動力になった。
迎えた今シーズンは、開幕からゴールを量産。疲労が蓄積したシーズン終盤の失速で得点王は逃したものの、
自己最多の19ゴールをあげて得点ランキングの3位に食い込んだ。
ガンバはリーグ戦、ナビスコカップ、天皇杯に加えてACLでも日本勢で最高位となる準決勝へ進出。
天皇杯決勝で実に年間60試合に達し、宇佐美も念願のA代表デビューを。その後もフルに招集された
ハリルジャパンでの活動が加わった。疲労が蓄積した理由はここにある。

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