1: 名無し@サカサカ10 2018/05/22(火) 00:49:03.69 _USER9

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とにかく過剰なほど熱い男だった
 【あの代表監督の成功と失敗】

 岡田武史監督のもと、悲願のW杯初出場を果たした1998年フランス大会本戦で、日本代表は3戦全敗に終わった。

 日韓共催の2002年大会へ向け、日本サッカー協会の意向は「岡田続投」で一致。ところが岡田監督は固辞した。

 そこで日本協会が白羽の矢を立てたのが、J1名古屋の再建で実績を挙げ、当時イングランドプレミアリーグ・アーセナルの監督を務めていたアーセン・ベンゲル氏(68)。

 こちらにも「オファーを受けることはできない」と断られたが、ベンゲル氏が代わりに「頭が良く、驚くような発想の持ち主で、誰にも負けない情熱家がいる」と強く推薦したのが、フィリップ・トルシエ監督(63)だ。

 実際のトルシエ監督は、情熱家というか、“熱すぎる”男だった。

 選手にはもちろん、協会幹部に対しても上から目線。当時日本代表のエースだった中田英寿氏に、「ナカタは携帯電話のCMに出ているが、私が30回その電話を鳴らしても出たためしがない」とチクリ。フランス遠征の際には、日本代表の公式ジャージーを着て外出した中村俊輔(39、現磐田)に「おまえ、パリのシャンゼリゼにジャージーで行くなんて、ナメてるのか!」と詰め寄った。自分より目立つスター選手には、ことのほか辛辣だった。結局中村は02年W杯の最終メンバーから外された。

 反旗を翻した選手もいた。主将を務めたDF森岡隆三(42、現J3鳥取監督)はスパイクを投げつけ練習をボイコットしたことがある。DF松田直樹(故人=2011年逝去)もそのやり方に異議を唱えた。

 一方で、「歴代の日本代表監督の中で最高の監督といってもいい。有無を言わせず強引に統率する手法は、日本人選手には合っていた」(代表スタッフ)との声もあり評価は真っ二つだ。

 トルシエ氏はいま、自分のワインブランドを立ち上げビジネスマンとして活躍中。来日時、「あの頃は怒鳴りすぎた。私も丸くなった」と、かつて怒鳴り散らした記者に握手を求めてきたことが思い出される。(夕刊フジ編集委員・久保武司)

夕刊フジ 5/21(月) 16:56配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180521-00000020-ykf-spo 
 

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