1: 3倍理論 ★ 2018/05/19(土) 05:44:33.99 ID:CAP_USER9

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「浦和レッズ」という名はサッカーをよく知らない人でも一度は聞いたことがあるのではないだろうか?正式名称が「浦和レッドダイヤモンズ」の同クラブはJリーグ1の観客動員数を誇り、アジアのクラブチームの頂点を決めるACLでも2回の優勝の経験がある。今回はそんな浦和レッズの魅力について触れていく。
前身の時代を含めると60年以上になるクラブの歴史

レッズの歴史を簡単に振り返ってみると、その歴史は1950年から始まっている。中日本重工業(当時の本社・神戸)サッカー部として1950年に創部され、その後複数回名前が変わり、Jリーグが開幕する前年の1992年に「三菱浦和フットボールクラブ」となった。現在のクラブ正式名称「浦和レッドダイヤモンズ」になったのは1996年からである。
開幕当初は連敗続きで当初は「お荷物クラブ」だった?

今では、「浦和レッズ」というとJ1の常連で、優勝こそ10年以上遠ざかっているが、間違いなく強豪クラブだと言える。そんな同クラブもJリーグ元年の1993年は連敗続きで、水色のユニフォームを着て臨んだアウェーでは1勝もできなかった。メディアやJリーグサポーターの一部からは、「Jリーグのお荷物クラブ」と称されていた。その後もクラブはJ2降格を経験し、2000年はJ2で戦うなど、目立った成績を残せずにいた。しかし、その後J1には1年で復帰し、2003年にはJリーグカップ(現在のルヴァンカップ)、2004年にはJ1の2ndステージを制覇するなど、徐々に頭角を現していった。
浦和レッズの魅力とは?サポーターがサポーターを呼ぶ?

ここからは本題に入り、浦和レッズの魅力について触れていく。同クラブは近年、観客動員数が伸び悩んでいるものの、2017シーズンもホームゲーム1試合平均約33000人の観客数を誇り、2位のFC東京に約7000人の差をつけてダントツの1位となっている。そんな浦和レッズの魅力とはいったいなんだろうか?クラブの規模や歴史はもちろん、売上も2017シーズンは79億7100万で過去最高額を記録し、言うまでもなくJクラブでダントツの1位である。

これだけ見ても多くの魅力のある同クラブだが、やはり最大の魅力は「サポーターの熱さ」ではないだろうか。時にその熱さのあまり、問題を起こすこともある同クラブのサポーターだが、世界ベストサポーターランキングではトップ10にランクインした経験もあり、その凄さは日本国内に留まらず、世界からも認められている。実際に試合に足を運ぶと、レッズサポーターの応援の迫力、声量や雰囲気に圧倒され、ファン・サポーターになる人は数多くいる。地響きのようにスタジアムに響き渡る応援はそう簡単にできるものではないだろう。

サポーターが多い理由

何故、レッズはサポーターが多いのか?そこには、Jリーグ開幕当初からの「地道な努力」があった。埼玉スタジアムが2002年の日韓ワールドカップに合わせ2001年に完成した。63700人の収容人数を誇り、アジアでも最大級のサッカー専用スタジアムだが、同スタジアムができる前は浦和駒場スタジアム(旧駒場競技場)でホームゲームを開催していた。

Jリーグは「地域密着」を掲げていた。そのため、原則として、クラブ名から企業名を外す方針だった。これに唯一反対したのがヴェルディ川崎だった。当時、神奈川県川崎市をホームタウンとしていたヴェルディ川崎の親会社は読売だった。プロ野球の巨人でおなじみの読売は、サッカーでも自社の広告宣伝を大々的に行う予定だった。そのため、重要な試合では、集客を優先してホームの等々力陸上競技場ではく、東京の国立競技場で試合を開催していた。

一方の浦和レッズ(当時の三菱浦和フットボールクラブ)は企業名こそクラブ名から完全に外さなかったものの、地元の浦和駒場スタジアムで試合を開催し続けた。その結果、ブームが去って観客動員数が伸び悩んだヴェルディに対して、レッズは観客動員数を増し続けて行った。

そして、浦和レッズのホームタウンは埼玉県さいたま市だ。同市には大宮アルディージャという浦和レッズと同じさいたま市をホームとするJリーグクラブがもう1つある。さらには、浦和南高校や浦和東高校、浦和西高校、市立浦和高校など多くのサッカー強豪校がある。また、Jリーグのチェアマンを務めている村井満氏は埼玉県立浦和高校のサッカー部出身である。

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