1: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2015/12/30(水) 22:20:27.46 ID:CAP_USER*.net

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ACミランへの移籍、オーストリアSVホルンの買収、自社グラウンドの設置、新たなユースチームの創設……。
プロサッカー選手の枠を超えて、経営にまで挑戦の舞台を広げる彼を駆り立てるものは、何か。

僕は平気で無茶をする、副作用は避けられない
2015年、本田圭佑の動きは急だった。所属クラブACミランと日本代表の選手としての活躍だけでなく、
ビジネスマン本田圭佑としての動きもまた、めまぐるしかったのである。オーストリア3部のSVホルンの経営に
乗り出しただけでなく、自ら代表を務める会社が千葉県の幕張にサッカー場を設置し、そこに中学生世代の
ジュニアユース、高校生世代のユースチームを創設する計画にも着手した。これにより、すでに全国約50カ所に
展開しているサッカースクールや既存のジュニアユースチームとあわせて、4歳からプロリーグまで
選手を育成できる道筋を完成させた。本田は構想の背景を快活に語ってくれた。

「高校生の頃から海外へ行くというキャリアビジョンはずっと描いていました。それでも、
名古屋グランパスエイトからオランダのフェンロに行くまでに3年かかった。そういう僕自身の実体験をもとに、
4歳から直線的にヨーロッパの舞台につながる環境を提供できれば、これからの子供たちが、
自分が歩んだ道よりはるかに効率よく大きなチャンスをつかめるのではないかと考えました」

「サッカースクールからホルンまでの道筋をピラミッドとして描いたとき、ホルンのさらに上に最終目標を
置いています。種明かしには、もう少し時間がかかる。今言えるのは、ロングタームのプロジェクトであるということ。
勝手に自分が60代になったときをゴールとして設定しています。なかなか簡単なことではないけれど、
これまでもずいぶん無茶を言ってきたし、それは相変わらずですから」

笑いながら語るが、その表情には時間に余裕はないのだという、ただならぬ緊張感も見て取れる。
選手、指導者、クラブ経営のすべてを視野に入れるなら当然とも考えられる一方で、彼特有の時間に対する観念もあるようだ。

「僕は膝に大怪我をしたことがあります。それまで、自分は強いし、さまざまなケアもしているし、
怪我などするはずがないと思っていた。生身の身体に負荷をかけすぎれば副作用が起こるということですよ。
まして、平気で無理をするこういう人間ですから、副作用は必ず起こるし、いつ死ぬかわからない。
けれど、やめようとは思わないし、やめたくない。好きでやっていることだから、全力でやりきろうと思う。
短い人生、長い人生、いろいろですけど、平等なのは人生が1回きりということでしょう。
そしてその人生が成功だったか失敗だったかという評価は、死んだ後に、残された人たちが下すものだと思う。
だったら、後悔のないように全力で生きることしか、自分にはできないんですよね。
死に対して怖さはあまり感じませんが、何か大きなことをやりたいので、時間の有限さには、
すごく危機感を持っている。そういう意味でも、いつ死ぬかわからないということを、日々、意識しています」

多くのアスリートが語るのは、次の試合への希望であり、現役の間に目指す目標である。しかし本田は違う。
何か大きなことをやりたい、のだ。それが、子供たちの指導でありクラブ経営であり、若手選手と、
ひいては日本サッカーの牽引なのである。しかしなぜ、これほど大きな夢を抱くのか。
より多くの努力を要する道に、あえて入っていく理由と原動力は何か。

「どうでしょうか……DNAではないと思うんですよ。僕の場合は、置かれた環境で育っていった反骨心が、
原動力になっているのかもしれない。謙遜するわけではなく、僕はサッカー選手として能力だけ見たら
本当に凡人です。小さい頃から『世界一のサッカー選手になる』と言ってきましたけど、そのときいつも周りには
自分よりうまい選手がいたので、『おまえには無理だ』と言われ続けた。だから、本田圭佑の反骨心は、
もしかしたら人よりもコンプレックスとして、強い。でも裏を返すと、天才もいないと考えています。
自分より上の選手は、自分より努力しているだけ。責任はすべて自分にある。そこをDNAのせいにはしたくない」

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