Jに来るかもしれないイニエスタについて知っておきたい10のコト バロンドール最高2位 CL・W杯・EUROの決勝でMOM クラブ歴代最多32個のタイトル獲得
1: ラッコ ★ 2018/05/08(火) 14:06:14.43 ID:CAP_USER9
バルサ退団発表の今、イニエスタについて改めて知っておきたい10のコト
バルセロナのスペイン代表MFアンドレス・イニエスタが4月27日、今シーズン限りでの退団を発表した。2002年にトップチームデビューを果たして以来、バルセロナ一筋16年。
「ラ・マシア(バルセロナの下部組織)の最高傑作」とも言われた同選手について、改めて知っておきたい10の情報を紹介する。
1.「最初はバルセロナに行きたくなかった」
8歳のときに地元アルバセーテのカンテラ(下部組織)に加入。そして12歳のときにスカウトを受けて、バルセロナのカンテラに入団した。だが、「最初はバルセロナに行きたくなかった」と後に告白。
家族と離れ離れになることをなかなか受け入れられず、「ラ・マシアに入団したときは、人生最悪の日だったと思う」と語っている。
2.グアルディオラの予言
1999年の夏、当時現役だったジョゼップ・グアルディオラ(現マンチェスター・C監督)はU?15のクラブ世界選手権に相当するナイキ・プレミアカップでイニエスタのプレーを初めて目の当たりにする。
ずば抜けた才能を見抜くのに全く時間は必要なかったという。そして後日、トップチームに上がったばかりのシャビ・エルナンデスにこう告げた。
「お前は俺を引退させるだろう。ただ、あの少年は我々2人を引退に追い込むかもしれない」。実際には引退させられることはなかったが、イニエスタを語るうえで今も有名なエピソードとなっている。
3.トップチームデビュー戦が“キャリア最高の瞬間”
2002年10月29日、チャンピオンズリーグのクラブ・ブルージュ戦でトップチームデビューを果たした。当時、18歳170日だった。
今回の退団発表会見で“キャリア最高の瞬間”について尋ねられると、「1つを挙げるのは難しい」としながらも、「ブルージュでのデビューの日のことは永遠に忘れないだろう。トップチームでの最初の1日だ。僕にとって一番意味のある瞬間だった」とコメントした。
4.出場数はシャビに次ぐ2位。“共演数”が最も多いのは?
バルセロナでは公式戦670試合に出場。シャビ・エルナンデスの767試合に次いで、クラブ歴代2位になる。ピッチ上で最も多く共演した選手はリオネル・メッシだ。2人は揃って485試合に出場した。
5.退場数はゼロ
ピッチ上では、華麗なプレーだけではなく、“サッカー選手の鑑”とも言える振る舞いを見せていた。スペイン代表戦を含め、プロキャリアにおいてレッドカードを受けたことは一度もない。
また審判への侮辱行為や相手選手との口論もほとんどなく、常に模範的存在であった。
6.タイトル数はメッシと並ぶクラブ歴代最多
イニエスタはバルセロナの成功の象徴でもあった。トップデビューを飾った2002-03シーズンに6位となって以降、2007-08シーズンの3位を除けば、リーガ・エスパニョーラでは常にトップ2入り。
トップチーム在籍16年間で実に9度のリーグ制覇を成し遂げている。さらに、4度のチャンピオンズリーグ制覇、3度のクラブワールドカップ制覇を達成。通算32個のタイトル獲得は、メッシと並ぶクラブ歴代最多記録になる。
7.バロンドールは獲得できなかったけれど……
これまでのキャリアにおいて“唯一の空白”があるとすれば、バロンドールの受賞歴がないことだろう。最高成績は2010年の2位。主催者のフランス誌『フランス・フットボール』は先日、彼にバロンドールを与えなかったことを謝罪した。
それでも、イニエスタは史上初の勲章を手にしている。2014-15シーズンのCL決勝で「マン・オブ・ザ・マッチ(MOM)」に選出され、2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ、ユーロ2012の決勝と合わせて、3つの国際大会決勝でMOMに輝いた初の選手となった。
8.飛行機嫌い
過去に「飛行機は好きではない」と告白している。父親のホセ・アントニオ・イニエスタ氏も同じく飛行機嫌いだった。そのため、2010 FIFAワールドカップ 南アフリカを現地で観戦せず。
オランダ代表との決勝戦でスペインに優勝をもたらす息子のゴールを目の当たりにすることもなかった。
9.郷土愛
12歳でバルセロナに入団した後も、郷土愛が薄れることはなかった。2011年には、古巣アルバセーテの筆頭株主となる(現在、経営権を握っているのはカタールの企業)。
2年後には選手へ未払いとなっていた給与を肩代わりして、同クラブの4部降格を回避させた。数々の功績を称えられ、故郷フエンテアルビージャには「イニエスタ通り」や「イニエスタの泉」がある。
(>>2-5あたりに続く)
サッカーキング 2018.05.01 文:Footmedia
https://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20180501/750610.html
バルセロナのスペイン代表MFアンドレス・イニエスタが4月27日、今シーズン限りでの退団を発表した。2002年にトップチームデビューを果たして以来、バルセロナ一筋16年。
「ラ・マシア(バルセロナの下部組織)の最高傑作」とも言われた同選手について、改めて知っておきたい10の情報を紹介する。
1.「最初はバルセロナに行きたくなかった」
8歳のときに地元アルバセーテのカンテラ(下部組織)に加入。そして12歳のときにスカウトを受けて、バルセロナのカンテラに入団した。だが、「最初はバルセロナに行きたくなかった」と後に告白。
家族と離れ離れになることをなかなか受け入れられず、「ラ・マシアに入団したときは、人生最悪の日だったと思う」と語っている。
2.グアルディオラの予言
1999年の夏、当時現役だったジョゼップ・グアルディオラ(現マンチェスター・C監督)はU?15のクラブ世界選手権に相当するナイキ・プレミアカップでイニエスタのプレーを初めて目の当たりにする。
ずば抜けた才能を見抜くのに全く時間は必要なかったという。そして後日、トップチームに上がったばかりのシャビ・エルナンデスにこう告げた。
「お前は俺を引退させるだろう。ただ、あの少年は我々2人を引退に追い込むかもしれない」。実際には引退させられることはなかったが、イニエスタを語るうえで今も有名なエピソードとなっている。
3.トップチームデビュー戦が“キャリア最高の瞬間”
2002年10月29日、チャンピオンズリーグのクラブ・ブルージュ戦でトップチームデビューを果たした。当時、18歳170日だった。
今回の退団発表会見で“キャリア最高の瞬間”について尋ねられると、「1つを挙げるのは難しい」としながらも、「ブルージュでのデビューの日のことは永遠に忘れないだろう。トップチームでの最初の1日だ。僕にとって一番意味のある瞬間だった」とコメントした。
4.出場数はシャビに次ぐ2位。“共演数”が最も多いのは?
バルセロナでは公式戦670試合に出場。シャビ・エルナンデスの767試合に次いで、クラブ歴代2位になる。ピッチ上で最も多く共演した選手はリオネル・メッシだ。2人は揃って485試合に出場した。
5.退場数はゼロ
ピッチ上では、華麗なプレーだけではなく、“サッカー選手の鑑”とも言える振る舞いを見せていた。スペイン代表戦を含め、プロキャリアにおいてレッドカードを受けたことは一度もない。
また審判への侮辱行為や相手選手との口論もほとんどなく、常に模範的存在であった。
6.タイトル数はメッシと並ぶクラブ歴代最多
イニエスタはバルセロナの成功の象徴でもあった。トップデビューを飾った2002-03シーズンに6位となって以降、2007-08シーズンの3位を除けば、リーガ・エスパニョーラでは常にトップ2入り。
トップチーム在籍16年間で実に9度のリーグ制覇を成し遂げている。さらに、4度のチャンピオンズリーグ制覇、3度のクラブワールドカップ制覇を達成。通算32個のタイトル獲得は、メッシと並ぶクラブ歴代最多記録になる。
7.バロンドールは獲得できなかったけれど……
これまでのキャリアにおいて“唯一の空白”があるとすれば、バロンドールの受賞歴がないことだろう。最高成績は2010年の2位。主催者のフランス誌『フランス・フットボール』は先日、彼にバロンドールを与えなかったことを謝罪した。
それでも、イニエスタは史上初の勲章を手にしている。2014-15シーズンのCL決勝で「マン・オブ・ザ・マッチ(MOM)」に選出され、2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ、ユーロ2012の決勝と合わせて、3つの国際大会決勝でMOMに輝いた初の選手となった。
8.飛行機嫌い
過去に「飛行機は好きではない」と告白している。父親のホセ・アントニオ・イニエスタ氏も同じく飛行機嫌いだった。そのため、2010 FIFAワールドカップ 南アフリカを現地で観戦せず。
オランダ代表との決勝戦でスペインに優勝をもたらす息子のゴールを目の当たりにすることもなかった。
9.郷土愛
12歳でバルセロナに入団した後も、郷土愛が薄れることはなかった。2011年には、古巣アルバセーテの筆頭株主となる(現在、経営権を握っているのはカタールの企業)。
2年後には選手へ未払いとなっていた給与を肩代わりして、同クラブの4部降格を回避させた。数々の功績を称えられ、故郷フエンテアルビージャには「イニエスタ通り」や「イニエスタの泉」がある。
(>>2-5あたりに続く)
サッカーキング 2018.05.01 文:Footmedia
https://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20180501/750610.html
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