1: Egg ★@\(^o^)/ 2015/12/27(日) 18:43:46.66 ID:CAP_USER*.net

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J1に昇格した松本山雅は15年シーズン、18チーム中16位に低迷。1年でJ2に逆戻りである。

 北京五輪監督だった反町監督は、90分間フルに走り回っての全員攻撃に全員守備がモットー。選手の走行距離、スプリント回数はJ1でもトップ3に入るが、
選手のレベルの低さに加えて反町監督の攻め手が“堅守からカウンターのワンパターン”しかなく、ただ走り回るだけではJ1で通用しなかった。

「5月20日からJリーグ、ナビスコ杯で9連敗した時は得点6に対して失点25とボロボロ。この時点でフロントは反町監督に見切りをつけ、後任監督探しに着手しました」(チーム関係者)

 松本のフロント幹部の人脈を通じて交渉することになったのは、世界に名だたる有名な指導者。母国アルゼンチン代表を率いて02年W杯、チリ代表監督として10年W杯に出場。
今夏まで仏リーグ1部の名門マルセイユの監督を務めたマルセロ・ビエルサ(60)である。

「ビエルサと親交のある日本人関係者が仲立ちした。当初、松本フロントは『あの大物ビエルサがウチに来るなんて……』と懐疑的だったが、
正式オファーを出して折衝すると年俸やコーチの人選など細かい部分は今後煮詰めていくという条件付きながら、基本的に日本行きはOKという返事が来た。

最終的に正式契約にいたらなかったが、シーズンオフに日本で指導者セミナーの講師を務めるとか、
サッカースクールを開催して指導に当たるとか、そうした話も出てくるほどビエルサと松本は、親密な関係を構築できた」(前出の関係者)

ところが、この「ビエルサ松本監督」の話を伝え聞いて真っ青になった日本サッカー協会(JFA)関係者がいた。
ザッケローニ元監督、アギーレ前監督、そしてハリルホジッチ現監督招聘の責任者の原博実JFA専務理事、霜田正浩JFA技術委員長だ。マスコミ関係者が解説する。

「10年南アW杯後、ザッケローニが日本代表監督に就任したが、原・霜田コンビの第1候補はビエルサだった。
彼らは元アルゼンチン代表MFで清水や横浜M、町田で監督を務めたアルディレスのルートを使ってビエルサとアポをとったが、
ザッケローニとの交渉がまとまったのでビエルサとの折衝を中止。

その際、断りの電話の一本もなかったとビエルサが激怒。
そのことを知らない原・霜田コンビは、アギーレが八百長疑惑で2月に辞任した後、ビエルサ側に会いたいと連絡すると仲介人から、ビエルサが『前回の失礼な態度の謝罪もない。
会いたくない』と激怒していると聞かされ、震えあがったのです」

ビエルサの松本監督就任話は流れたが、「あの2人が赤っ恥をかくところを見たかった」と話す関係者は少なくない。

日刊ゲンダイ 12月27日(日)9時26分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151227-00000013-nkgendai-socc

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