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899: 2018/03/20(火) 19:50:50.44 ID:uWkfq3910
ハリルホジッチの原点。ハリルホジッチとは何者か。母国記者が語る指揮官の素顔

サッカー_01

 彼は生粋の、地元のヒーローだった。モスタルにほど近いヤブラニツァに生まれ、10代の頃にモスタルへと移った。それは電気工学を勉強するためだったが(彼はエンジニアを志していた)、すぐにもう一つの道が開かれた。兄のサレムが所属するサッカークラブ、ヴェレジュ・モスタルに誘われたのだ。

 学業を優先していたハリルホジッチが、ヴェレジュと契約してサッカーの道に進んだのは18歳の時だった。やがて彼は、同じくストライカーだった兄からポジションを奪い、ヴェレジュの1970年代を象徴する選手となる。長身でテクニックに優れ、巧みなボールさばきはどこかエレガントな雰囲気を感じさせた。両足を難なく使いこなし、しばしば相手を欺くようなゴールを決めてみせた。

 そのキャリアにおけるハイライトの一つが、先に述べた1981年のユーゴスラヴィアカップ決勝だ。ヴェレジュがジェリェズニチャル・サラエヴォを3-2で破ったこの試合で、ハリルホジッチは1点目と2点目を決めた。決勝点となった3点目も、彼のシュートから生まれたものだった。ちなみに、対戦相手のジェリェズニチャルを指揮していたのがイヴィチャ・オシムだったことも、日本の読者のために書き加えておこう。

 しかし、モスタルの人々がハリルホジッチを今でも心から愛し、自分たちの英雄と見なしているのは、選手時代の華々しい実績だけが理由ではない。それを正確に説明するためには、ユーゴスラヴィアという国とその歴史について、少し知ってもらわなければならない。

【 全文 】
https://www.soccer-king.jp/sk_sp_feature/article/731488.html?cx_top=topix



選手としてみると、偉大だわ



910: 2018/03/20(火) 19:55:30.89 ID:6Wzh4TyY0
>>899
ハリホジの戦争話聞くたびに日本は本当に恵まれてるなと思うわ
ドログバの話も凄かったな


引用元:http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/soccer/1521480888/

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