1: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2015/12/19(土) 19:47:31.14 ID:CAP_USER*.net
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「頑張れ!」「戦え!」「気持ちを見せろ!」
日本サッカー界では、こうした叱咤激励が日常的に飛び交う。小学校からJリーグまで、
頑張ることの大切さが語られる。顕著なのは守備、プレスの場面かもしれない。必死の形相で全力疾走し、
ボールに詰め寄る。ピッチを駆けずり回る姿に、最大級の賛辞が降り注ぐ。自分を捨て、
集団のために尽くしているとして、献身性が尊ばれるのだ。
 一生懸命な姿は、たしかに美しい。しかし、そのガムシャラさは本当に尊いのか?
 トップレベルのフットボールにおけるディフェンスとは、基本的に自分のポジションを点として防御することに
端を発している。自分の点と周囲の選手が持っている点によって線を引き、それを防御ラインとし、
敵に突破されないようにする。防御とは常に、点と線を死守することを意味する。

相手を囲い込むプレスによる守備とは、ボールホルダーに対して激しく圧力をかけることだが、
それも周りとの連動で点と線を作らなければ話にならない。
 言い換えれば、点と線を無視したガムシャラさは自己満足でしかないだろう。ひとりが突出して
駆け出してボールを追ったとしても、トップレベルのゲームでは奪い取れる可能性が限りなく低い。
ひたすらに頑張る姿を見せるのは無価値に等しく、むしろエゴイスティックな行為であって、チームを危険に陥れかねない。
 世界最高峰フットボールリーグ、スペインのリーガ・エスパニョーラにおいて、走りすぎることは愚の骨頂とさえ見なされる。
 例えば、エイバルでプレーする日本代表MF乾貴士は、守備を頑張っているように映るかもしれない。
まさにガムシャラなプレスを彼は見せる。それは彼なりの献身性であって、その心意気は評価されるべきで、
闘志を称える声は少なからずある。しかし、周囲との呼吸がまるで合っていない。彼が前方に走っていくことで、
後方のスペースが空き、点と線に綻びができ、そこを敵に突かれる。そうしたシーンが数多く見られる。

 図らずも、乾の頑張りが守備の破綻につながってしまっている。それによって、彼は使いにくい選手となり、
事実、出場機会が減りつつある。

「日本人は戦術的に未熟」

 しばしばそう語られるが、プレッシングはその一例だろう。走ることそのものが評価の対象になる日本では
意外に捉えられるかもしれないが、周りと連動せずに走っても百害あって一理なし。自分のポジションを動かし、
留守にする時は周りとの連動が欠かせず、ここにタクティクスの極意はある。

<頑張ることを見せる>

 残念ながら、それは守備ではない。汗と涙を好む、日本人の運動競技気質においては誤解が生まれやすいのだ。

 もうひとつ、日本人が数字データを過信する傾向も、大きな過ちを犯す可能性を孕んでいる。

 走行距離やスプリント回数によって守備の貢献度を表わそうとしているのは、実験や知識としては
悪くないだろう。しかし、数字は必ず嘘をつく。例えば、どれほど速く、多くのスプリントをしたとしても、
もし点と線に乱れを与えるような走り方の場合、それは貢献どころか、チームにダメージを与えていることになる。
そこを念頭に置いて、走ることを評価すべきだ。

 走ること=頑張る=素晴らしい!

 牢固とした“運動会の図式”を叩き壊さなければ、日本のプロサッカー界において戦術的成熟は生まれないだろう。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151217-00010013-sdigestw-socc&p=2

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