1: 名無し@サカサカ10 2018/01/01(月) 13:28:39.74 _USER9
【能活×俊輔vol.1】マリノス黄金期を築いた2人が語る、中高時代に得たもの
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「炎の守護神」と呼ばれた希代の名GK川口能活(SC相模原)と日本サッカーを代表する天才ファンタジスタ・中村俊輔(ジュビロ磐田)。Jリーグの横浜マリノス(現・横浜Fマリノス)で黄金期を築き、長く支えた日本代表でも揃ってW杯に出場した2人の豪華対談が「THE ANSWER」で初めて実現し、4回にわたって互いのサッカー人生について語り尽くした。

「レジェンド対談」の第1回は、中学・高校と全国有数の強豪校でサッカーをしてきた川口とクラブチームから当時は新興校だった高校のサッカー部を選択した中村、異なる環境下でプレーしてきた2人が中学・高校時代に得たものとは――。

――川口選手は著書「壁を超える」で東海大一中時代を振り返り、「毎日一人だけ居残りで特訓を受け、泣きながら練習していた」と語っていました。クラブチーム出身の中村選手はだいぶ、環境が異なるのでは?

中村「そうですね。日産FC(現横浜F・マリノスジュニアユース)での練習時間は19時~21時で21時30分にはグラウンドは消灯。自主練をするような時間もありませんでした。練習時間よりも早めに行って、僕らより前に練習をしているジュニアの邪魔にならないようにボールを触ったり、練習後にチームメートとバー当てを競ったりするぐらい」

川口「バー当てかぁ。中学時代は練習が厳しかったので、それをやる余裕はなかったな。クラブチームはそういう遊び心があっていいよね」

中村「練習も面白かったですよ。いわゆるエリート集団だったからチームメートの意識が高くて、練習内容からしてレベルが高かった。でも、何となく物足りなさは感じていましたね」

川口「僕は毎日、立っていられないほどヘトヘトになっていたから、俊とは違う意味で自主練をやろうという気持ちが起きなかった。でも毎日、必死で練習を続けていたら、いつのまにか自信も力もついていましたね。ただ、東海選抜、U-16(日本代表)に選ばれるようになって、ちょっと天狗になってしまった。それで、余計に監督の特訓が厳しくなりました(笑)」

つづく

1/1(月) 11:36配信 answer
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180101-00010002-theanswer-socc

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