1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/12/09(水) 20:19:13.49 ID:CAP_USER*.net
フェリックス・マガトがサガン鳥栖の監督に就任かという報道が最初に流れたのは11月上旬のことだった。まずスポーツ紙が報じ、その後、サガン鳥栖の竹原稔社長が交渉の最終段階である旨を認めたことから、通信社や一般紙も後を追った。時間とともに情報の確度が上がり、もはや既成事実のようになっている印象がある。

だが、これはあくまでも日本国内の話。ドイツではこの1ヵ月、この件でたいした報道はなかった。

だが12月8日になってキッカー誌が「マガトが日本へ」と報じている。記事では鳥栖という町とクラブの概要を紹介。「4年前に2部から昇格したクラブで、ドイツでいえば2部のザントハウゼンやハイデンハイムに似ている」「東京から1114キロの距離にあり、人口は7万人強。新幹線は止まらず(編集部注・新鳥栖駅に止まる)、空港はない」「それでもマガトはこのチャレンジを楽しみにしている」などと書いている。

マガトは現役時代、西ドイツ(当時)代表としてW杯準優勝を果たすなど十分な実績を残しており、ハンブルガー時代の1983年、チャンピオンズカップ決勝で決めた決勝ゴールは今でも映像で見かける。監督としてもバイエルン・ミュンヘンやヴォルフスブルクでリーグ優勝を経験するなど、キャリアを築いてきた。

とはいえ、近年はぱっとした結果を出しているとは言いがたい。11年3月にシャルケの監督を成績不振で解任され、再びヴォルフスブルクへ。その3季目となる12~13シーズンには最下位に低迷し、まだ序盤の秋口に解任された。翌年にはシーズン半ばでイングランドのフラムの監督に就任。初めての国外挑戦だったが、低迷するチームを救うことはできず、フラムは2部に転落した。フラムを解任されてからは監督業から距離を置いていた。

軍隊式の厳しいトレーニングを課す、戦術よりもメンタル重視派、変人である……といった日本で報じられている人物像は、ドイツで伝わっているものと大きくは変わらない。結果を出しているうちはそのことがクローズアップされることは少ないが、いったん負けだすとそうはいかなくなる。

日本人選手に関わるエピソードも多い。

11年3月、シャルケの監督を解任されたマガトは、解任直後にヴォルフスブルクの監督に就任すると、もうその週にはベンチに座って指揮をとった。3試合目には早くも古巣シャルケと対戦している。この時、マガト自身がシャルケに連れてきたスタッフの一部が、ヴォルフスブルクについていかず、シャルケに残ったことが話題になった。

シャルケはマガトが残したスタッフと新監督ラングニックのスタッフが混在する体制でシーズン終盤を戦うことになり大混乱。内田篤人をはじめ、マガトによって獲得された選手たちも大いに戸惑った。結果的にこのシーズン、シャルケはチャンピオンズリーグでは4強に進出したが、マガト解任の理由だったリーグ戦の不振は解消されず、14位に終わった。

内田自身はチャンスを与えてくれたマガトについて悪く言うことはなく、「走らせるタイプの監督はキライではない」と話していた。だが多くの選手はマガトの解任に胸をなでおろしており、チームに明るさが戻ったのは明らかだった。

ヴォルフスブルクでは成績不振の時期、選手たちにメディアに対してかん口令を敷いた。当時所属していた長谷部誠と日本の報道陣との雑談にもスタッフが目を光らせており、「どうやら日本語の情報もチェックしているらしい」とまことしやかに言われていた。結局、管理が厳しすぎることで、選手個人の力は弱体化し、移籍を志願する選手も出てくるのが現実だった。

そういえばマガトに干されていた時期の長谷部誠は、毎日数十キロを走らされて、通常の練習に参加できないこともあった。マガトが解任され、後任にケストナーが就任したあと、長谷部が「『君がやっていたことは見ていたよ』と言われた。走っていた日々はムダではなかった」と語っていたのが印象的だった。

ネームバリューは抜群だが、手腕とやり口には疑問符がついて回る大物監督。果たして鳥栖は変人マガトを使いこなせるだろうか。
2015-12-09_21h28_56
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151209-00010001-sportiva-socc&p=2
webスポルティーバ 12月9日(水)13時40分配信
引用元http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1449659953/

 
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