1: 砂漠のマスカレード ★ 2017/11/06(月) 03:43:03.30 ID:CAP_USER9
no title ◆私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第3回
日本初のW杯、衝撃の落選メンバー発表~北澤豪(3)

 1998年フランスW杯開幕目前、代表メンバーからの落選を言い渡された北澤豪とカズ(三浦知良)は、協会スタッフと現地コーディネーターとともにレンタカーに乗って、合宿地であるスイスのニヨンを離れた。だが、行く当てはなかった。

 そのため、まずどこから日本に帰るのがいいかを考えた。イタリアか、ドイツか、それとも同行したコーディネーターが住むフランスか……。

 最終的には、かつてカズがプレーしていたイタリアへ向かった。パリよりも距離的に近いミラノに行くことに決めた。

 ミラノまでおよそ6時間。その長い道のりで、車の中では誰もがそれぞれの思いに耽(ふけ)っていた。静かな車中だったが、今後について話をすることもあったという。

「ミラノに行くことに決めたけど、『さあ、これからどうしようか』ってことになった。最初はすぐに帰るつもりだったけど、今(日本に)帰ると、俺らの話題が大きくなってしまうので、それはやめたほうがいい。もうちょっと熱が冷めてから帰ろうってことで、3日間、ミラノに滞在することに決めた。あまり長くいても、みんなに迷惑がかかるからね。ただ、関係者に連絡をするのはやめよう。(世間から)『消えよう』って、みんなで決めた」

 それが、いわゆる『空白の3日間』である。

 このとき、日本のメディアはスイスから”消えた”北澤とカズの行方を必死になって探していたのだ。

 北澤たちは、ミラノにあるフォーシーズンズホテルのスイートルームに投宿した。カズがプライベートでもよく使っていて、馴染みのあるホテルだったからだ。

 みんなといると気が紛れたが、「ひとりになるといろいろと考えてしまった」と北澤は言う。落選という非情な通知を受けたのは、まだ数時間前のこと。気持ちはささくれ、傷ついたままだった。

 そんな北澤の心を救ってくれたのは、カズのポジティブな姿勢と言葉だったという。

「キー、俺たち、ヴェルディがあってよかったな。ずっと代表でやってきて、代表の自分たちっていうふうに思っていたけど、代表はダメだった。でも、俺たちにはサッカーをやれる場所がある。そういう意味で、クラブは大事だし、ヴェルディに感謝しないとな」

 北澤は素直に「そうだな」と思ったという。

「『ドーハの悲劇』からずっとW杯に行くことを目指していて、目前で行けなくなったから、なんか感覚的にサッカーがなくなったというか、自分のサッカーが奪われてしまった感じがあった。でも、カズさんは『クラブがあるから、サッカーやれるじゃん』って言ってくれた。そのとき、クラブという”自分の家”があることって、すごく大事だなって思った。代表にいてプレーしていたときは、そんなふうに考えることはなかったんだけどね」

 ミラノに来て2日目、カズは郊外の美容室で髪を切り、金髪に染めた。北澤はさすがにトレードマークの長髪を切ることはできなかった。そのままホテルに戻り、ゆっくりと静養した。

⇒北澤豪が「これだけは許せなかった」という岡田監督の裏切り采配(Sportiva)

引用元: http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1509907383/

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