1: YG防衛軍 2017/03/07(火) 11:42:36.28 ID:CAP_USER9

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記者会見で心から笑った顔を、思い出すことができない。

 ルイス・エンリケがバルセロナを去ることを明らかにしたのは、3月の初めの日のことだった。
 
 6-1で大勝したスポルティング・ヒホン戦(3月1日のリーガ・エスパニョーラ25節)の後、カンプ・ノウの会見場で記者の質問に答え終わると、自ら今シーズンいっぱいでの退任を告げ、静かに席を立った。
 
 それは何の前触れもない、あまりにも突然のことだった。記者たちもポカンとしていたくらいだ。選手に伝えたのも、試合後のロッカールームだったという。
 
 言葉に迷いはなかった。
 
「熟考したうえでの結論だ。シーズン前にもクラブとは辞める可能性について話し合った。ようやく、発表のタイミングがきたんだ。選手として、監督としてこのクラブで仕事ができたことに感謝している」
 
 ルイス・エンリケが3年間で残した結果は見事としか言いようがない。獲得可能だった10のタイトルのうち、実に8つのカップを掲げている(リーガとコパ・レル・レイがそれぞれ2回、チャンピオンズ・リーグ、クラブワールドカップ、UEFAスーパーカップ、スペイン・スーパーカップがそれぞれ1回)。
 
 今シーズンはその数が増える可能性もある。CLラウンド・オブ16でパリSGに逆転する可能性は低いとしても(第1レグは0-4、第2レグは3月8日)、リーガもコパ・デル・レイも優勝の可能性が残っている。退任の理由はピッチ上の結果や内容とは別のところにあるという。
 
「この3年間、ほとんど休むことなく、身をすり減らしながらやってきた。バルサの監督を務めるというのはそういうことだ」
 
 表情には疲れの色が隠せなかった。
 
 退任発表後すぐに『マルカ』紙は、この3年間におけるルイス・エンリケの風貌の変化を連続写真で掲載した。
 
 少しずつ白髪と皺が増えていく写真の数々。笑顔の写真は、ただのひとつもない。そういえば、何度も出席した記者会見で、心から笑った顔を、思い出すことができない。

疑念と批判と成功が入り混じった3年間だった。
 
 これほど結果を出したのに、これほど批判された監督もそうはいないだろう。焦点は最後までそのサッカーの内容にあった。
 
 ルイス・エンリケは就任1年目からリオネル・メッシ、ルイス・スアレス、ネイマールという3人の類稀なアタッカーを同時に抱えるという、世界中の指揮官がうらやむ幸運に恵まれた。
 
 選択したのは、この“MSNトリオ”の能力を最大限に活かすサッカーだ。前線からのプレスの強度を弱めて、この3人の守備負担を軽減し、ある程度の自由を与えて攻撃に専念させた。
 
 ポゼッションを究極の善としてきたバルサに、縦に速い攻撃の概念を注入。時間のかかるパスワークよりも、スピーディーなカウンター攻撃を優先した。一瞬にして独力で敵陣を切り裂ける3人の能力を目一杯に引き出すための術だ。
 
 批判が出るまでに時間はかからなかった。
 
「ルイス・エンリケはバルサ・イズムを捨てた」
 
「ティキタカ(ショートパスを繋ぐパスサッカー)のないバルサはバルサじゃない」
 
「つまらないカウンター一辺倒のチーム」
 
 ルイス・エンリケ自身がカウンターの信奉者だったわけではない。バルサBの監督時代にはまるで違う種類のサッカーをしていたし、ローマやセルタでのスタイルを見てもそれは明らかだ。
 
 ただ考えたのは、抱える選手のポテンシャルを最大限に引き出すこと。時代が違えば、つまり陣容が違えば、選んだスタイルは違っただろう。
 
 しかし、かつてバルサのティキタカを体現者だったシャビはとうに全盛期を過ぎ、ルイス・エンリケ就任から1年でカタールのアル・サッドに去った。そして例によって前線にはMSNがいた。
 
 この陣容であれば、最終的に行き着くところは、誰であれルイス・エンリケのサッカーになったはず。理想や夢やアイデンティティーはひとまず脇に置いておくとして、少なくともそれが最も理にかなった選択だからだ。しかし、指揮官の決断は最後まで評価されなかった。

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