1: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2015/11/11(水) 16:46:38.38 ID:???*.net
no titleペルージャ、ローマ時代の全盛期で残した強烈なインパクト
 1998年に当時のセリエAペルージャで鮮烈なデビューを飾り、ローマで日本人として初めてスクデット(リーグ優勝)を果たしたチームの一員となった、元日本代表MF中田英寿氏がイタリアで再びスポットライトが当てられている。イタリアのサッカー情報サイト「カルチョメルカート・コム」では、かつてセリエAで活躍した選手を振り返る企画で日本サッカー界の革命児を特集している。

「ヒデトシ・ナカタ。イタリアで大きな成功を収めた最初の日本人選手で、1980年代に流行した「ホリー&ベンジー(人気漫画キャプテン翼のイタリアでのタイトル)」の10番を思い出させるような選手。サッカー史上で最も才能に恵まれたアジア人選手。マッツォーネ監督のペルージャで爆発した」

 こうした書き出しで紹介された中田氏。1998年のフランス・ワールドカップ後に21歳の若さでベルマーレ平塚(当時、現湘南ベルマーレ)からセリエAに昇格したばかりのペルージャに移籍した中田氏は、シーズン開幕戦であるユベントス戦で鮮烈なデビューを果たした。

 当時2連覇中の王者ユベントスは、前半だけで0-3と昇格組のペルージャを圧倒した。本拠地のレナト・クーリには諦めにも似たムードが漂ったが、ヒデがそれを吹き飛ばす。後半6分に当時イタリアで最高峰のGKと呼ばれていたアンジェロ・ペルッツィのニアサイドを抜く豪快なシュートを決めると、続く同13分にはゴール前のこぼれ球を右足ボレーで叩きつけてゴールを奪った。結果的にゲームは3-4で敗れたが、「NAKATA」の名はイタリア中にとどろいた。

no titleイタリアメディア特集 「ローマ最後のスクデットはナカタが明るく照らした」
 そして、同サイトで最も思い出深い一瞬として取り上げられているのが、ローマのスクデットを決定づけることになった一戦だ。ローマに移籍して2シーズン目となった2000-01シーズンの5月6日。首位に立つローマは、勝ち点6差で2位から猛追するチームとの直接対決を迎えた。この節目のゲームの相手は、奇しくもデビュー戦と同じユベントス。そして、この時もローマは0-2とリードを許した。

 当時のファビオ・カペッロ監督は、後半20分に大エースであり永遠の王子であるMFフランチェスコ・トッティに代えて日本人MFをピッチに送り込む決断を下した。

 そこからの25分は、イタリアサッカー史上でも伝説に残る特別な時間だった。後半34分、ゴールから約25メートルの距離から右足を振り抜いた強烈なミドルシュートがユベントスゴールに突き刺さった。そして、1点ビハインドのまま迎えた追加タイム。再び右足を振り抜いた強烈なシュートがゴールを襲うと、GKファン・デル・サールは弾きだすのが精一杯。そこにFWヴィンチェンツォ・モンテッラが詰めて劇的な同点ゴールを決めた。「ローマの最後のスクデットは、ナカタが明るく照らし出した」と紹介された1試合だった。このシーズン以降、ローマはセリエA優勝に届いていない。

no titleバロンドール候補にも4年連続で選ばれる
「バロンドールとFIFA最優秀プレーヤーに4年連続でノミネートされたナカタ。彼はわずか29歳にしてサッカー界に別れを告げ、人生の旅に出た」

 記事では、全盛期の活躍を懐かしんだ。パルマ、フィオレンティーナ、ボルトンなどを経て、2006年ドイツワールドカップ後に現役を引退した。現在はサッカー界から少し距離を置いた活動を続けている中田氏だが、イタリアでは「ナカータ」の発音と共に、その輝かしい足跡はサッカーファンの記憶と記録にしっかりと刻み込まれている。

⇒イタリアで再評価される「NAKATA」の衝撃 「サッカー史上で最も才能に恵まれたアジア人」(サカマガ)

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