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1:YG防衛軍 ★@\(^o^)/:2017/01/05(木) 20:55:37.81 ID:CAP_USER9.net
2016年J1は第1ステージ11位、第2ステージ7位で、年間では10位という不完全燃焼の結果に終わった横浜F・マリノス。木村浩吉監督(現:日本サッカー協会育成ディレクター)が指揮した2009年以来の2ケタ順位に終わった。今季ラストタイトルとなった天皇杯も29日の準決勝・鹿島アントラーズ戦で0-2と苦杯を喫し、何も得られないままシーズンを終えることになってしまった。

にもかかわらず、2015年からチームを率いるエリク・モンバエルツ監督の続投が決定しており、主力選手からの不満が少なからず噴出している。2010年春に欧州から戻った時点では「生涯マリノス」の意向を示していたエース・中村俊輔にもジュビロ磐田への移籍話が浮上し、本人も考えあぐねるほど、チームは大きく揺れ動いているのだ。

横浜市出身で、マリノスジュニアユースで育ち、桐光学園を経て、97年に入りした中村俊輔は、当時から強い「マリノス愛」をたびたび口にしていた。2002年夏にはイタリア・セリエAのレッジーナへ移籍し、2005年夏にはスコットランドの名門・セルティック、2009年夏にはリーガ・エスパニョーラのエスパニョールの門を叩いたが、欧州の最前線で戦っている間もマリノスのことを忘れたことはなかったようだ。

だからこそ、彼は長年の夢だったスペイン挑戦を途中で断念して古巣復帰に踏み切った。もちろん2010年春の段階では「南アフリカワールドカップまでに試合勘を取り戻し、トップパフォーマンスを出せる状態にしたい」という大きな狙いはあったが、「マリノス再建」に貢献したいという気持ちがなければ帰国の決断は下せなかったはず。そこは紛れもない事実と言える。

その中村俊輔がマリノスを出るか出ないかで考えあぐねるという現状は深刻だ。最大の要因はモンバエルツ監督の志向するサッカースタイルとのギャップ、強引に若返りを進めようとするクラブ側のスタンスへの違和感と見られるが、今季から環境面が激変したことも大きいのではないか。

マリノスは2007年から横浜市西区・みなとみらい地区のマリノスタウンに拠点を置いていた。ここには4面のグランドとクラブハウス、事務所、ショップなどが併設されていて、Jリーグ屈指の恵まれた環境と高評価を受けていた。2013年に2度目のJリーグMVPを受賞した際、中村俊輔も「この環境とスタッフのサポートがあるから、自分自身もいい状態を保っていられる」と感謝を口にしていた。

それが財政面の問題から2015年限りで閉鎖となり、マリノスは今季から日産スタジアム横の日産フィールド小机や球技場で練習するようになった。しかし、ここはクラブ専用の施設ではないから、選手たちは限られた時間しか使用できない。毎日スパイクやトレーニングウェアの入った大荷物を持ってロッカーに行き、それをまた車で持ち帰る生活を、中村俊輔は30代後半になった今、再び強いられることになったのだ。

そうなると当然、体をケアする環境もない。マリノスタウン時代はメディカルルームやクールダウン用のプールなどを使いたい時に使えたが、今季からはそうもいかなくなった。入念なケアが必要なベテラン選手にとって、この環境はやはり厳しいと言わざるを得ない。食事も仮眠もマリノスタウン時代は十分採れたが、それも叶わない。今季は午前練習後、若いメンバーに「今からファミレス行かない」と声をかける彼の姿を目の当たりにすることがしばしばあった。
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