1: 名無し@サカサカ10 2019/02/11(月) 08:09:20.89
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 試合後にも私はドゥンガと話をし、彼はあらためてコメントを補足した。

「後半15分過ぎから、私は日本の敗戦を予想した。選手たちからは”勝たなくてはいけない”という重圧が感じられた。しかし、本来プレッシャーを感じなければいけないのはカタールのほうだったと思う。

 カタールは開催国UAEと微妙な関係にあるが、それでも同じ中東の国。ホームでプレーしているのも同じだし、次回のW杯の開催国でもある。彼らには勝利が求められていた。一方、日本はリラックスして、今までどおり自分たちのサッカーをしていればよかった。

 しかし試合の前に何かがあったのか、ピッチに降りた日本の選手たちは皆一様に自信のない様子だった。自信のない者は勝つことはできない。これはサッカーに限らず、すべてにおいての鉄則だ」

 日本サッカーはここ20年で目を見張るほど大きく前進した。しかし、サッカーの神髄にはいまだ到達していないように思える。巧みなテクニック、組織立った動き、戦術、こういったものは非常に大事だが、最後の最後に勝敗を決めるのはメンタルだ。Jリーグ発足当時から、私は個人的に日本サッカーを見続けてきたが、いまだに感じるのが、ジーコが何年も前に指摘した”マリーシア(狡猾さ)”の欠如だ。

 Jリーグで長くプレーしたビスマルクもその点を強く感じているようだ。

「日本の敗戦は残念だった。決勝の相手がカタールに決まった時、私は日本の5度目の優勝を確信した。たぶん決勝戦のカタールは、この国のサッカー史上、唯一無二の最高のプレーをしたのだと思う。今後日本とカタールが10回対戦しても、日本は10回勝つはずだ。日本の方がカタールよりもずっとプロらしく、戦術も駆使していたし、ボールポセッションも日本の方が上で、リズムもあり、試合を支配していた。

 しかしそれでも負けてしまったのは、他でもないメンタルによるものだ。思うに、日本にはピッチに真のリーダーが欠けていたのではないだろうか。何が何でも勝つという気持ちとマリーシアを持ち、皆を落ち着かせ、ネガティブな状況もポジティブに変えられると先頭きって皆にわからせる存在が……。

 ただ、敗戦は残念だったが、決勝の舞台にたどり着けたということは、監督や選手の顔ぶれが代わっても日本の強さは変わらないということだ」

 日本と関わりあるブラジル人のなかでも、最も偉大なレジェンドのひとり、トニーニョ・セレーゾにも話を聞いてみることにした。彼は日本と中東で監督をした経験がある。ある意味で、この決勝の話を聞くには最適の人物だろう。

「開始すぐの失点は、日本の選手たちにとって驚きだったに違いない。こんな形でリードされるとは思ってもみなかったはずだ。そのショックから、彼らはうまく立ち直ることができなかった。これは日本サッカーでよくみられる精神的な特徴で、私も常に(監督として)その点を克服させようとしていた。

 一方で日本の選手は、最後まで手を抜かず戦い続ける闘士の心を持っている。イラン戦を見ればそのことはよくわかる。アジアで一番難しく、強い相手に、日本は3-0と完勝した。イラン戦の日本は完璧だったと言ってもいい。日本がたった30分でも、イラン戦のようなプレーを決勝でしていたなら、今頃は5度目のカップ獲得を祝っていたかもしれない。

 しかし、日本サッカー協会は、監督やコーチ、選手たちの働きを正しく評価してほしい。優勝こそしなかったものの、アジアカップでの日本はすばらしかった。日本のサポーターにもこれだけは言っておきたい。『日本のサッカーはダイナミックで、情熱的で、感動的で、何より現代的で、年を追うごとに進化している』と。日本が負けたのは、この日のカタールが最高にツイていたからだけでなく、日本がとんでもなく不運だったからだ。日本は決して悪くないチームだった」

 ドゥンガ、ビスマルク、トニーニョ・セレーゾと同様、私も、今後はメンタル面での強化に力を入れるべきだと感じる。少なくとも外から日本のサッカーを見る者の目にはそう映る。森保一監督を私は高く評価している。しかし、外からの声を聞くのも、より成長し、いい結果を出すためには大事なことであると私は思う

2/10(日) 16:01配信  スポルティーバ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190210-00010005-sportiva-socc&p=1

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