1: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2016/02/03(水) 22:45:29.73 ID:CAP_USER*.net
U-23日本代表はAFC U-23選手権で韓国を下して優勝を飾るとともに、リオ五輪出場権も獲得した。
大会MVPに選ばれたのは、日本の10番を背負った中島翔哉。

21歳のMFは以下のようにその喜びを口にしていた。

“ 中島翔哉(FC東京)

「この栄誉は自分だけではなく、全ての選手たちのものです。これを今後につなげたい。
自分が満足できるパフォーマンスは少なかったです。でも監督は信頼してくれ、大会を通じて自分を起用し続けてくれた。
なので、チームの勝利を導き出せるようなパフォーマンスができると自分は信じていました」

中島は今大会5試合に出場し、イランとの準々決勝では豪快なスーパーゴールを2発も叩き込んで見せた。
日本の若き逸材たちがひしめくチームで10番を背負う彼は、天才肌の小柄なテクニシャンというイメージもあるかもしれない。
ただ、“本当の姿”はまったく違うものである。それにちょっと迫ってみたい。

衝撃だったヴェルディ時代、しかし…
1994年に東京で生まれた中島翔哉は東京ヴェルディ下部組織で育成された。
各世代の日本代表にも選ばれ、ベスト8に輝いた2011年のU-17W杯では準々決勝のブラジル戦でゴールも決めている。
その翌年、ヴェルディとのプロ契約からわずか17日後の栃木SC戦で、Jリーグ史上最年少の18歳59日で
ハットトリックを達成。大胆不敵な発言も相まって、瞬く間に注目を集めることになった。

“ 「世界No.1プレーヤーになりたい。メッシを超えることも、バロンドール獲得も通過点」
“ 「リオ五輪の前にブラジルW杯に出たい」

2014年には東京ヴェルディからFC東京という“禁断の移籍”を敢行し、更なる飛躍を誓った。
だが、デビュー直後のインパクトから一転、その後はJリーグでもさしたる活躍をできないでいる。

2012 J2 東京ヴェルディ 8試合4ゴール
2013 J2 東京ヴェルディ 21試合2ゴール
2014 J2 カターレ富山 28試合2ゴール(※FC東京からの期限付き移籍)
2014 J1 FC東京 5試合0ゴール
2015 J1 FC東京 13試合1ゴール

ご覧の通り、活躍できていないどころか、デビューした2012年から成績が下降してしまっているのが現実なのだ。
ではなぜ彼がJリーグで活躍できていないのだろうか?それは誤解を恐れずにいえばズバリ、“上手くない”からだ。
小柄で「10番」の攻撃的MFというと、サッカーファンであれば普通に「テクニシャン」であることを想像するだろう。
中島は確かにドリブルの際にはメッシを彷彿とさせるような場面もある。ただ必ずしも天才肌の感性や
技術を持つわけではなく、全体を把握する能力に欠けるがゆえ選択にミスが多く、パスも簡単に引っ掛けてしまうのである。
若くして才能を評価され、個の能力に執着したがために周囲の“生かし方”を学ぶ機会を逸したのだろうか。
ただ一方で他の選手にはない大きな武器が彼にはある。驚異的な運動量と、160cmそこそこの自分より一回りも
二回りも大きな相手に決して怯まず、向かっていけるところである。
準々決勝イラン戦は彼の特徴が良い部分も悪い部分も含めて全て出たと言える。

“ 「90分では良いプレーができなかったですし、ほぼ何もしていなかった」

本人が口にした試合後の言葉であるが、90分の間には無謀に仕掛けたり、態勢が悪くなったところでパスを
選択し奪われるというミスを連発した。しかし、決して失敗に下を向くことなく、相手の足が止まった延長戦に
ワールドクラスの2発を叩き込んだのである。

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