1:ばーど ★:2018/08/11(土) 19:04:24.76 ID:CAP_USER9.net
夏休みに入って、子どもは毎日部活漬け。好きなことに青春をかける姿は美しいものですが、ちょっと行き過ぎかもって感じるお母さんもいるのでは? “ブラック部活”なんて言葉もあるし、心配にもなりますよね。

そこでご紹介したい本があります。『カルチョの休日 イタリアのサッカー少年は蹴球3日でグングン伸びる』(著・宮崎隆司、構成・熊崎敬、内外出版社)。イタリア在住のスポーツジャーナリストである著者が、息子の通うサッカークラブでの活動を通じて日本の学校スポーツのあり方に疑問を投げかける一冊です。

■イタリアの少年サッカーは練習週2日、夏休みは完全オフ

1年中休みのない日本の部活動とは違い、イタリアの少年たちが通う地域のクラブチームではほとんどが週2日しか練習しません。そして6月8日に学校が終わり、夏休みになると、3ヶ月間は完全オフ! 日本だったら、やれ合宿だ、遠征だと忙しくなる時期に、彼らは海水浴を楽しみ、よく眠るのだといいます。サッカーは、その合間に遊び程度でするぐらい。
 
びっくりするお母さんも多いでしょうね。ここからは日本の部活動とイタリアのクラブチームの違いを詳しく見ていきましょう。

最も異なるのは、<休養こそ最高の練習である>(p.124)という考え方が徹底している点です。“休み”イコール“サボり”ではなく、子どもたちをケガから守り、カラダが成長するために必要な時間だととらえているのですね。せっかく好きで始めたスポーツなのに、辛い思いをしたら元も子もありませんよね。

もうひとつは、スポーツをするそもそもの目的。過度なトレーニングを課して成果をあげるのが絶対ではないという物の見方ですね。

それは、<プロになって成功に収めることが、人生のすべてではないということ>を親がきちんと理解し、子どもたちが<かけがえのない少年時代に、気の置けない仲間たちとサッカーに夢中になれるだけで心が満たされる>(どちらもp.206)こと。

だからイタリアの親たちは、「がんばれ」ではなく、「思っきり楽しんでこい」と言って子どもたちを送り出すのだそうです。子どもたちが勝とうが負けようが、活躍しようがミスしようが、どうでもいいのですね。
 
これから続く長い人生の支えとしてスポーツの楽しみを知り、仲間たちとリラックスして過ごせる場を作るほうがよほど大切なわけです。

■負けた罰で走らせるなんて「犯罪だ」

そう考えるのはクラブの指導者も同じ。だからイタリアのチームには朝練や居残り練習もない。試合に負けたからといってお説教や体罰を受けたりする心配もありません。著者から日本の事情を知らされた指導者のひとりはこう語ったそうです。

サッカー <「アマチュアの、それも子どもたちが試合に負けたという理由で殴られて、走らされるって? それを強いる監督の行為は明らかな犯罪だよ」>(p.121)そう、たかが部活で炎天下のグラウンドを何十周も“罰走”させるなんて、どこからどう見ても「犯罪」なのですね。

では、どうして日本の部活動ではこうした理不尽がまかり通ってしまうのでしょうか?著者は学校がスポーツを管理するシステムに疑問を投げかけています。

<サッカーの専門知識や経験を持たない監督が、「人間教育」という大義名分のもと、ときに無根拠で危険な練習を子どもたちに強いる。進学や就職を“人質”に取られた子どもたちは“指導”を受け入れざるを得ず、理不尽な物事に対しても「ハイ!」と答える癖がついていく。>(pp.234-235)

どこかのアメフト部を思い出しませんか? こうした不条理がパワハラを正当化し、スポーツが人間教育であるかのような誤解を生んでしまう。苦難に耐えた学生たちの頑張りも、しょせんは学校と指導者の宣伝にしかならないというのに。

■「人間教育」ではない、ただ楽しむためにやる

確かに、“部活動でも仲間との友情や絆は育まれる”と言う人もいるでしょう。実際そんな話を子どもから聞いたことがあるかもしれません。でも、なぜか余計な苦労話とセットになってしまう。

著者はここに日本の学校スポーツの問題点を見るのです。競技への理解を深める楽しみよりも、仲間とともに苦労を乗り越えた体験の方が勝ってしまう。

そろそろ日本の学校スポーツも、<スポーツはただ純粋に楽しむためにやるものであり、優れた人間になるためにやる

以下ソース先で

2018.08.11
女子SPA
Fotolia_210522810_S-585x390
https://joshi-spa.jp/869599
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