1: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2016/01/10(日) 18:32:45.44 ID:CAP_USER*.net
 試合終了を告げる主審のホイッスルが、止まっていた時計が再び動き出したことを告げる。
ユニフォームの色になぞらえて、「赤い彗星」なる異名がつけられた東福岡(福岡)が誇らしげに雄叫びをあげる。
 9日に埼玉スタジアムで行われた全国高校サッカー選手権の準決勝。連覇を狙った星稜(石川)を
シュートわずか1本に抑え、攻めては21本のシュートを浴びせ2対0のスコア以上の実力差を見せつける圧勝で、
連覇を達成した1998年度大会以来、17年ぶりとなる決勝進出を決めた。
 コーチから昇格して14年目。50歳の森重潤也監督が、目を細めながら選手たちを見つめる。
「試合前に『ウチのサッカーをやろう』と選手たちと話し合いました。しっかりと表現してくれた選手たちは、本当にたくましいと思う」

 現在は総監督を務める志波芳則監督に率いられた17年前は、高校サッカー史上で「最強」と呼ばれる
軌跡を刻んでいた。基本テクニックを徹底して反復させて高いレベルへ昇華させる、約10年に及んだ地道な
指導が花開いたのは1997年度だった。
 後に鹿島アントラーズや年代別の日本代表で活躍したMF本山雅志(現ギラヴァンツ北九州)を擁したチームは、
高校サッカー史上で初めてインターハイ、全日本ユース選手権、全国高校選手権の三冠を制覇。
公式戦52戦無敗という伝説とともに、東福岡の名前を歴史に刻んだ。
 翌1998年度の選手権も制した東福岡のもとへは、人工芝のグラウンドや完備された寮などを含めた
ハイレベルな環境を求めて、近隣の九州各県や山口県、四国4県から優秀な選手たちが続々と
集結するようになる。皮肉なことに「強すぎる東福岡」の存在は県内のライバル校も刺激し、
そのレベルを引き上げた。2003年度の全国選手権で準優勝を果たした筑陽学園は、その象徴的な例といっていいだろう。
 全国選手権出場を果たしても、真っ先にターゲットとされる状況が続いた。市立船橋や流通経済大学柏
(ともに千葉)など、東福岡を倒した高校が頂点に立った大会もあった。
 そして、九州国際大学付属や東海大第五の後塵を拝し、3年連続で全国選手権出場から遠ざかっていた
2013年の春。現在の3年生たちが東福岡へ入学してくる。
 キャプテンを務める司令塔の中村健人(3年)は、志波総監督や森重監督、コーチングスタッフから
入部直後にかけられた言葉を、いまでも鮮明に覚えている。
「史上最弱の世代だ、と言われたんですよ」
 ひとつ上の世代には、横浜F・マリノスでプレーするMF中島賢星や、ヴィッセル神戸のMF増山朝陽がいた。
中村自身も「確かに上の世代はすごすぎた」と差があったことは認めるが、何度も面と向かって言われていい気分になるはずがない。
「最弱と呼ばれてきたことへの反骨心というものが、自分たちを動かしていると思う。本山さんたちの世代を
見ている分、物足りない部分はあると思うんですけど。それでも本当に悔しかったし、3年生になったら絶対に
見返してやる、絶対に負けてなるものか、という強い気持ちでやってきたので」
果たして、最上級生となった昨年4月。依然として不本意なレッテルが貼られていた彼らは、決定的な黒星を
味わわされる。プレミアリーグウエストのセレッソ大阪U‐18戦で喫した1対6の大敗。首脳陣から厳しい言葉を
投げかけられるなかで、中村を中心とする選手たちが自主的にミーティングを開催した。

「どうやったら勝てるのか、自分たちで考えて練習するようにと(首脳陣から)言われたこともありますけど、
自分たちも意識を変えなきゃいけないと自覚したので。それまでも(選手だけの)ミーティングは
開いていましたけど、試合や練習のいいところと悪いところをあげて、まとめて終わりという感じでした。
あのときはお互いに要求して、ときには『こう動いたらここへボールをくれ』と言い合いながら、自分たちが
進む方向性というものを自分たちで導き出せた。変わり目になったミーティングだったと思います」

 ハードワークを土台に、ボールを奪った後はサイドを幅広く使いながら相手ゴール前へ攻め込む。
紡がれてきた伝統のスタイルをあらためて身に染み込ませるうえで、「最弱」と呼ばれ続けたことが
プラスに作用することもあったと中村は明かす。
「最弱と呼ばれた自分たちは、力を過信することなくずっとやってきた。そういう謙虚な姿勢というものも、
いまの自分たちを動かしていると思う。今年は個性派と呼ばれる選手が例年に比べて少ないと思うし、
その意味ではチームをまめとめるうえで、歴代のキャプテンが味わってきた苦労をしなかったのかなと」

続きを読む