なぜ日本代表にFKの名手が不在なのか?中村俊輔が語る!
▽おすすめ記事▽
1: 2018/04/05(木) 18:49:54.87 ID:CAP_USER9
薄暗い照明、黒色の土のグラウンド――1人の選手がボーっと薄く浮かび上がるように立っていた。
雨上がりでグラウンドには、まだあちらこちらに水たまりが残っており、その選手はスパイクもソックスも泥だらけになりながら、ただ黙々とボールを蹴り続けていた。
高校を卒業し、大学入学と同時にサッカージャーナリストになることを夢見て筆者が活動を開始した頃に見た風景だ。
強豪校としてメキメキと頭角を現し始めていた桐光学園の“ナンバー10”中村俊輔を見るべく、そのサッカー部のグラウンドを訪れていた。当時、まだ大学生だった私はグラウンドの中での取材ができず、孤独の中で練習に励む中村を、同じく1人で遠くから見つめていた。
全体練習が終わり、多くの部員達が引き上げてからも彼はグラウンドに残り、FKの練習をひたすら行っていた。
1人でボールを数個抱えて一箇所に集め、ゴールに向かってただただFKを蹴る。
やがて蹴るボールが無くなると、ゴールに入ったボールや外れてグラウンドの一番奥まで転がっていったボールをひとつずつ回収して、再び場所を変えてFK練習を行い、またボールを回収して……。
次第にボールは泥で重くなり、真っ黒になっていった。
すると急にしゃがみ込んで、ボールを抱えた。「何をやっているんだろう?」と目をこらして見てみると、彼は素手でボールをひとつずつ丁寧に磨いていた。全部のボールの泥を落として磨き終えると、再び何事も無かったかのようにFKを蹴り始めた。
中村俊輔を育てたグラウンドが人工芝に。
まさに「黙々と」という言葉そのままに、何かに取り憑かれたかのようにひたすらFKを蹴っていた中村俊輔。
あれから21年の歳月が流れて――2018年4月2日。
彼が汗を流していた桐光学園高校サッカー部グラウンドは、緑色が映える綺麗な人工芝グラウンドとなっていた。
この日、サッカー部グラウンドが人工芝化されたことでの完成記念式典が行われることになっていた。中村はそこに、OBとして出席していた。
4/5(木) 11:31配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180405-00830399-number-socc
雨上がりでグラウンドには、まだあちらこちらに水たまりが残っており、その選手はスパイクもソックスも泥だらけになりながら、ただ黙々とボールを蹴り続けていた。
高校を卒業し、大学入学と同時にサッカージャーナリストになることを夢見て筆者が活動を開始した頃に見た風景だ。
強豪校としてメキメキと頭角を現し始めていた桐光学園の“ナンバー10”中村俊輔を見るべく、そのサッカー部のグラウンドを訪れていた。当時、まだ大学生だった私はグラウンドの中での取材ができず、孤独の中で練習に励む中村を、同じく1人で遠くから見つめていた。
全体練習が終わり、多くの部員達が引き上げてからも彼はグラウンドに残り、FKの練習をひたすら行っていた。
1人でボールを数個抱えて一箇所に集め、ゴールに向かってただただFKを蹴る。
やがて蹴るボールが無くなると、ゴールに入ったボールや外れてグラウンドの一番奥まで転がっていったボールをひとつずつ回収して、再び場所を変えてFK練習を行い、またボールを回収して……。
次第にボールは泥で重くなり、真っ黒になっていった。
すると急にしゃがみ込んで、ボールを抱えた。「何をやっているんだろう?」と目をこらして見てみると、彼は素手でボールをひとつずつ丁寧に磨いていた。全部のボールの泥を落として磨き終えると、再び何事も無かったかのようにFKを蹴り始めた。
中村俊輔を育てたグラウンドが人工芝に。
まさに「黙々と」という言葉そのままに、何かに取り憑かれたかのようにひたすらFKを蹴っていた中村俊輔。
あれから21年の歳月が流れて――2018年4月2日。
彼が汗を流していた桐光学園高校サッカー部グラウンドは、緑色が映える綺麗な人工芝グラウンドとなっていた。
この日、サッカー部グラウンドが人工芝化されたことでの完成記念式典が行われることになっていた。中村はそこに、OBとして出席していた。
4/5(木) 11:31配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180405-00830399-number-socc
「上手くなる選手はあまり環境に左右されない」
桐光学園現役チームとOBチームがエキシビションマッチを行い、そのゲームを彼はOBチームのユニフォームを着て見つめていた。高校時代とは見違えるほど綺麗になったグラウンドを見て、彼は何を考えているのか……。
「本当に素晴らしい環境になりましたね。上を目指すには最高の環境だと思います」
目の前のグラウンドは、全体的に彼が高校生の頃とはまったく別のものになっていると語ってくれた。
当時はただの広い土のグラウンドだったが、中村の卒業後に大きなメインスタンドができたそうだ。そしてプレハブだった部室はメインスタンド下に移って、綺麗な建物内施設となった。ゴール裏の広大なスペースは、整備されたハンドボールコートと大きな建物が建つエリアとなり、サッカーボールがゴールを逸れてもネットで止まるので遠くまで取りに行く必要も無くなった。
立派な人工芝のおかげで、もう泥だらけにならなくても良いし、汚れたボールを磨かなくても良くなった。
その説明と感想は、どれも中村らしい裏表の無い素直な意見だった。
しかし、彼はこう言葉を続けた。
「……でも、上手くなる選手というのはあまり環境に左右されないんですよ、本当は。もちろん環境が良いにことに越したことはありませんが、悪かったら悪かったでその中でやらないといけないし、やるべきことは変わらない。
要は自分の環境の捉え方。その考え方も含めて、その選手の成長に差が出てくるのだと思うんです」
中村が語った「サッカー環境」論。
ちょっとした会話から、中村俊輔の深いサッカー論が、いきなり飛び出してきた。
彼の当時の練習風景を思い浮かべながら今の心境を質問してみると、彼のベースとなっている「信念」の偉大さと、「反復・継続できる能力」の素晴らしさを改めて学び取れる、即席サッカー講座とも言える会話になっていった。
「自分が今、高校生だったとしたら、良い環境だからといってそこに甘えるようなことは絶対にないと思います。
この人工芝はかなり性能の高いもので、試合を見ていても天然芝と変わらないくらいのクオリティーだと感じられます。この環境だと、トラップ、パスなど良い技術の習慣が自然に身に付くし、すべての選手にとってプラスなのは間違いない。
でもね、本当に上手くなっていく奴は、自分が上手くなる術を自分で探して、探して……工夫するものなんですよ」
桐光学園現役チームとOBチームがエキシビションマッチを行い、そのゲームを彼はOBチームのユニフォームを着て見つめていた。高校時代とは見違えるほど綺麗になったグラウンドを見て、彼は何を考えているのか……。
「本当に素晴らしい環境になりましたね。上を目指すには最高の環境だと思います」
目の前のグラウンドは、全体的に彼が高校生の頃とはまったく別のものになっていると語ってくれた。
当時はただの広い土のグラウンドだったが、中村の卒業後に大きなメインスタンドができたそうだ。そしてプレハブだった部室はメインスタンド下に移って、綺麗な建物内施設となった。ゴール裏の広大なスペースは、整備されたハンドボールコートと大きな建物が建つエリアとなり、サッカーボールがゴールを逸れてもネットで止まるので遠くまで取りに行く必要も無くなった。
立派な人工芝のおかげで、もう泥だらけにならなくても良いし、汚れたボールを磨かなくても良くなった。
その説明と感想は、どれも中村らしい裏表の無い素直な意見だった。
しかし、彼はこう言葉を続けた。
「……でも、上手くなる選手というのはあまり環境に左右されないんですよ、本当は。もちろん環境が良いにことに越したことはありませんが、悪かったら悪かったでその中でやらないといけないし、やるべきことは変わらない。
要は自分の環境の捉え方。その考え方も含めて、その選手の成長に差が出てくるのだと思うんです」
中村が語った「サッカー環境」論。
ちょっとした会話から、中村俊輔の深いサッカー論が、いきなり飛び出してきた。
彼の当時の練習風景を思い浮かべながら今の心境を質問してみると、彼のベースとなっている「信念」の偉大さと、「反復・継続できる能力」の素晴らしさを改めて学び取れる、即席サッカー講座とも言える会話になっていった。
「自分が今、高校生だったとしたら、良い環境だからといってそこに甘えるようなことは絶対にないと思います。
この人工芝はかなり性能の高いもので、試合を見ていても天然芝と変わらないくらいのクオリティーだと感じられます。この環境だと、トラップ、パスなど良い技術の習慣が自然に身に付くし、すべての選手にとってプラスなのは間違いない。
でもね、本当に上手くなっていく奴は、自分が上手くなる術を自分で探して、探して……工夫するものなんですよ」
引用元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1522921794
続きを読む